こんにちは、よたろうです。
今回は鎌倉市の寿福寺を紹介します。
データ
北条政子・源実朝母子の墓所
寿福寺は、鎌倉幕府の第二代将軍・源頼家が亡くなった翌年である正治2年(1200年)に北条政子が臨済宗の開祖・栄西を招いて創建された、「鎌倉五山」の第三位に位置づけられる古刹ですが、鎌倉五山の他の寺院と比べるとかなり地味な印象です(失礼)。
※上の写真の右端に「山門不幸」と書かれた白木の立て札がありますが、これは住職またはご家族にご不幸があった際に掲げられるものだそうです。この山門不幸のため、当面は御朱印の対応はしていただけないとのことですのでご注意ください。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、岡崎義実が源頼朝の父・源義朝ゆかりの地である亀ヶ谷(かめがやつ)に御所を構えるよう北条義時を通じて頼朝に進言するも、「亀ヶ谷は手狭だ」と一蹴され、御所は大倉に決まる……というくだりがありましたが、この源義朝の旧邸があったとされるのがこの寿福寺の辺りだったそうです。
境内の墓地には北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔がありますが、そこへ至る参道はちょっとした山道になっているので、歩きやすい服装と靴でお参りしてください。
この北条政子と源実朝の墓もそうですが、鎌倉には「やぐら」と呼ばれる横穴式のお墓や供養堂がたくさんあります。他所の風習や文化を詳しく知っているわけではありませんが、こういった横穴式墳墓っていうのは「いかにも鎌倉」な感じがします。
境内には他にも高浜虚子や大佛次郎の墓もあり、歴史ファンのみならず文学ファンにも人気のお寺さんです。そういう意味においては、和歌をこよなく愛したという源実朝に相応しいとお寺さんだと言えるかもしれませんね。