こんにちは、よたろうです。
今回は藤沢市の白旗神社を紹介します。
データ
源義経を祭神として祀る神社
創建された年代は詳しくは分かっていないようですが、鎌倉に送られてきた源義経と武蔵坊弁慶の首が首実検の後にこの神社に飛んできたことを聞いた源頼朝が「義経を白旗明神としてこの神社に祀るように」と指示をし、源義経を祭神とした白旗神社となった……と伝わっているそうです。
史実から読み解かれる源頼朝は、実の弟であっても勝手な行動をする者は容赦なく討つという非情な人物として描かれることが多いですが、こうして義経や郎党の霊を慰める神社を創らせたということは、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で描かれたように実は決して本意ではない粛清だったのかもしれませんね。もちろん、シンプルに義経らの祟りを恐れての行いかもしれませんが……。
なお、ここ白旗神社には令和元年(2109年)の令和御大典・源義経公没後830年・鎮霊碑合祀20年記念事業の一つとして建立された、源義経と武蔵坊弁慶の銅像があります。まだまだ真新しさを感じますが、迫力のある立派なこの銅像は一見の価値ありですよ。
また、上記の「鎮霊碑合祀20年」というのは義経の亡骸が葬られた宮城県栗原郡栗駒町、および首が葬られたこの藤沢の地の有志によって平成11年(1999年)に斎行された「御首」「御骸」の霊を合わせ祀る鎮霊祭から20年が経ったことを指しますが、境内にはその際に建立された「源義経公鎮霊碑」があります。
このように、ここ白旗神社には源義経と武蔵坊弁慶にまつわる数々の伝承があります。ここからほど近い場所には義経の首洗い井戸、および弁慶の首を祀った社跡である弁慶塚がありますが、白旗神社を含むこの一帯は今後も何百年・何千年と日本全国で末永く語り継がれるであろう主従の聖地の一つと言えると思います。
ちなみに、社殿の脇には「弁慶の力石」がありますが、こちらには武蔵坊弁慶に直接のいわれはなく、「力持ち」の比喩表現としての「弁慶」のようです。