こんにちは、よたろうです。
今回は横浜市港南区にある、馬洗橋を紹介します。
データ
- 名称:馬洗橋
- 訪問日:令和4年6月4日
馬を洗った尼将軍
「新編相模国風土記稿」に記されたところによると、この馬洗(うまあらい)という川と橋の名前は、北条政子が馬を駆ってこの地を通り、川辺で汗と塵にまみれた馬を洗ったことに由来しているそうです。
※この近辺に住居表示や街区表示としての「馬洗」という地名はありません。
この逸話は、横浜市港南区の区政25周年を記念して平成6年に発行された「ふるさと港南の昔ばなし」に掲載されている民話の一つである「馬を洗った尼将軍」で詳しく紹介されています。
ざっくりと紹介すると、政子が鎌倉から15kmほど離れたところにある横浜市内で最古の寺院であり源将軍家累代の祈願所であった弘明寺(ぐみょうじ)に参詣する途中、ここで休息をとっていた二人の若武者の姿に亡き頼家・実朝兄弟を重ね合わせて優しく声をかけ、「尼将軍」ではなく一人の母親として、深くかぶった市女笠の下に母親の辛さや悲しさを覆い隠した……といった内容です。
上記「データ」の項のリンクに「馬を洗った尼将軍」の全文が掲載されているので、興味のある方はご覧になってみてください。
源実朝の没年が建保7年(1219年)、政子の没年が嘉禄元年(1225年)なので、この民話の舞台となっているのはこの間ということになりますが、権謀術数が渦巻き、血で血を洗う骨肉の争いが繰り広げられていた当時の鎌倉を思えば、ほんの一時でも「母親」の顔に戻った政子の心情も分かろうというものですよね。。。
なお、鎌倉の世には旅人たちの憩いの場となっていたとみられるこの馬洗川も、現在は1kmあまりが地表に見えているだけで、あとは暗渠になっている様子で往時の面影はありません。
ちなみに、環状2号線の馬洗橋交差点のある周辺は「ラーメン街道」とも呼ばれる、十数軒のラーメン屋さんが林立する激戦区ですので、訪れる機会がありましたらぜひラーメンのほうもご賞味ください。