こんにちは、よたろうです。
今回は横浜市戸塚区にある、丹後局供養塔と丹後山神明社を紹介します。
データ
【丹後局供養塔】
- 名称:丹後局供養塔
- 訪問日:令和4年6月26日
【丹後局供養塔】
安達盛長の妻にして源頼朝の妾である丹後内侍の碑
今回の記事で紹介する「丹後局」とは、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で鈴木京香さん演じる後白河法皇の側室の丹後局……ではなく、草笛光子さん演じる比企尼の長女といわれる「丹後内侍」です。
一説には丹後局と丹後内侍は同一人物とみる向きもあり、真実は歴史の彼方のようで調べてもハッキリとしたことは分かりませんでしたが、ここでは丹後局と丹後内侍は別人として話を進めますね。
丹後内侍は、源頼朝の流人時代からの側近中の側近である安達盛長の妻であったと言われています。「鎌倉殿の13人」では安達盛長の息子の弥九郎というちょっとぽっちゃりとした子(後の安達景盛)が登場しましたが、この弥九郎の母親が丹後内侍だと考えられているようです。
それを踏まえてこの供養塔の碑文を読むと、なかなか興味深いというか、源頼朝の節操のなさを感じてしまいました。
ざっくりと読み下すと、源頼朝の愛妾である丹後内侍が懐妊し、それに怒った政子によって鎌倉を追われ、この地の神社でひっそりと男子を出産した……といった内容が書かれています。
島津氏の祖・島津忠久出生の地?
そして、この供養塔から5分ほど歩いたところにその神社=丹後山神明社が鎮座しています。
ここで生まれたという男子こそが、鎌倉幕府の御家人にして島津氏の祖である島津忠久だとされています。
島津忠久は源頼朝の推挙によって日向国・大隅国・薩摩国の3ヶ国に跨る当時の日本の最大の荘園、島津荘の下司職に任命されて九州南部と関わりを持つようになったとのことですが……吾妻鏡をはじめとした当時の史料にはこれらについての記述はないそうで、諸説紛々という感じみたいですね。
しかし、ここで紹介した流れが事実だとすると、源頼朝が島津忠久の父であるというのは壮大な歴史ロマンといえるかもしれませんが、その実は側近であり盟友でもある安達盛長の妻を寝取ってもうけた子どもということになるわけで、いかに女癖が悪かったと伝わるとはいえ、源頼朝もたいがいですよねぇ。。。