すべての道は鎌倉に通ず

「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【源頼朝・土肥実平ゆかりの地】源頼朝船出の浜/謡坂(足柄下郡真鶴町)

こんにちは、よたろうです。

今回は足柄下郡真鶴町にある、源頼朝船出の浜を紹介します。

データ

源頼朝船出の浜】

  • 名称:源頼朝船出の浜
  • 訪問日:令和4年7月2日

【謡坂】

  • 名称:謡坂
  • 訪問日:令和4年7月2日

www.town.manazuru.kanagawa.jp

従者とともに安房国へと船出をした浜

治承4年(1180年)、源頼朝一行が石橋山の戦いで敗れ再起を期すべく安房国へと船出をした浜が、現在の神奈川県足柄下郡真鶴町の岩海岸であると言われています。

現在は小さな海水浴場

ここから安房国へと船を漕ぎだしたのは、源頼朝土肥実平・遠平親子、新開忠氏、土肥実平の弟・土屋三郎、岡崎義実安達盛長の7人。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では北条義時が船を漕いでいたシーンがありましたが、史実では父・北条時政とともに1日早く出発していたとされているようです。

一行が船を出したところを追手に見つかってしまい、追手に「あの船は何だ!?」と問われた村人たちは「近海で鮫が出て困っているので、退治するための鮫追船です」と咄嗟に嘘をつき、船出をアシストしたとのこと。

この岩海岸の村人たちの鮫追船2艘は、後北条氏の時代になっても税が免除された記録が残っているそうです。

石碑にも村人たちが税を免除されたという記載

石碑の裏手にはもう1つの石碑がありました

土肥実平が頼朝一行を鼓舞すべく舞った地

また、現在のJR真鶴駅から岩海岸に至る道中には謡坂(うたいざか)という坂がありますが、ここは源頼朝一行が箱根山中から逃れたことを祝い、土肥実平が皆の気持ちを引き立てようと歌い踊ったところだと言われています。

岩海岸に至る道中に謡坂の石碑があります

大河ドラマでは、阿南健治さんが土肥実平を演じていますが、難を逃れて嬉々として歌い踊る姿が容易に想像できますよね(笑)

それにしても、今回紹介した真鶴の船出の浜から上陸の地である千葉県の鋸南町までは直線距離にして70~80kmほどもあり、当時の造船・操船技術を考えるとこの逃避行が決死の行程であったことは想像に難くありません。

これですもの。。。 ©Googole マップ

大河ドラマ梶原景時が度々口にしていましたが、源頼朝という人物は史実を紐解いてみても「天に守られている」としか思えませんよねぇ。

アクセス

源頼朝船出の浜】
神奈川県足柄下郡真鶴町
JR東海道線 真鶴駅から徒歩約15分
駐車場なし(岩海水浴場に有料駐車場あり)

【謡坂】
神奈川県足柄下郡真鶴町
JR東海道線 真鶴駅から徒歩約12分
駐車場なし