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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【曾我兄弟ゆかりの地】曾我兄弟の墓(足柄下郡箱根町)

こんにちは、よたろうです。

今回は足柄下郡箱根町にある、曾我兄弟の墓を紹介します。

データ

  • 名称:俗称曾我兄弟の墓
  • 訪問日:令和4年7月9日
  • 昭和28年に国の重要文化財に指定

www.hakonenavi.jp

曾我兄弟と虎御前の墓と伝わる五輪塔

今回紹介する箱根町の曾我兄弟の墓は「元箱根石仏群」を構成する史跡の一つで、昭和28年(1953年)に国の重要文化財に指定されています。

左と中央の二基が曾我兄弟の墓

「曾我兄弟の墓」と伝わる史跡は千葉県匝瑳市静岡県富士宮市、神奈川県中郡二宮町など複数の地区にありますが、この三基の五輪塔は銘文から永仁3年(1295年)に建立されたことが分かっているとのことで、兄弟の「墓」ではなく供養塔と考えられているみたいですね。

ざらしですっかり薄くなった案内板

建久4年(1193年)に源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎祐成・曾我五郎時致の兄弟が親の仇である工藤佑経を討った事件が「曾我兄弟の仇討ち」と伝わっており、「赤穂浪士の仇討ち」「伊賀越えの仇討ち」と並んで「日本三大仇討ち」の一つとされています。

吾妻鏡によると、兄弟が工藤佑経を討って本懐を遂げた後に御家人たちと戦闘になり、兄・十郎は仁田忠常に討ち取られて死亡、弟・五郎は源頼朝の宿所に押し入った末に御所五郎丸重宗に取り押さえられ、翌日に梟首されたとのこと。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、兄弟は最初から源頼朝を狙っていたものの、比奈に夜這いをかけるための身代わりとなっていた工藤佑経を討ち取ってしまい、「結果的に」仇討ちを果たす……という三谷脚本の妙でしたよね。
※史実では、五郎が頼朝の下へ向かったのは、頼朝の面前で自害をするためと考えられているようです。

曾我兄弟の墓とされる二基の五輪塔の傍らにあるもう一つのちょっと小ぶりな五輪塔は、兄・十郎の妾である虎御前の墓であると伝わっていますが、真偽のほどは定かではないようです……というか、「偽」というのが定説みたいですね。

ちなみに、神奈川県中郡大磯町の延台寺には、その虎御前が化したという「虎子石」があり、美男でないと持ち上げることができないと伝わっているそうですが……虎子石というと歌川芳員の「東海道五十三次内 大磯」に描かれた奇妙な姿を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ポスターの右下に描かれているのが虎子石

残念ながら大河ドラマに虎御前は登場していませんが、虎御前に関する伝承も各地に色々とあるようですし、歌舞伎や浄瑠璃、浮世絵と、数多ある曾我兄弟にまつわる作品(曽我物)が古くは室町時代から存在するように、曾我兄弟の仇討ちの物語は日本人の琴線に触れる英雄譚として語り継がれています。

最寄りのバス停もズバリ「曽我兄弟の墓」

アクセス

神奈川県足柄下郡箱根町元箱根
「曽我兄弟の墓」バス停から徒歩1分
駐車場なし(近隣に駐車スペースあり)