こんにちは、よたろうです。
今回は足柄下郡箱根町の箱根神社を紹介します。
データ
鎌倉幕府の崇敬を集めた神社
箱根神社は、源頼朝が治承4年(1180年)の石橋山の戦いで敗れた際に逃げ込んで匿われたと伝わっており、手水舎の手前には、源頼朝が日頃の信仰によって土肥の椙山、しとどの窟、箱根神社で三度、大難を逃れたことが記された石碑があります。
源頼朝がその深い信仰から二所詣(箱根神社と伊豆山神社)を創始すると、その後も鎌倉幕府歴代将軍による箱根神社への参拝は恒例行事となり、さらには執権北条氏の信仰も厚く、貞永元年(1132年)に北条泰時が制定した「御成敗式目」では箱根神社が祈誓を捧げる神々の筆頭とされています。
境内には「安産杉」がありますが、こちらも源頼朝にゆかりの深いご神木です。
「吾妻鏡」には、源頼朝が養和二年(1182年)に奉幣使を派遣して、また、建久三年(1192年)には神馬を奉納して妻・北条政子の安産祈願を行い、それぞれ無事に嫡男・万寿(源頼家)、次男・千幡(源実朝)が誕生したと記されており、そのどちらでも安産祈願の際には必ずこの安産杉へのお参りが行われたと伝わっているそうです。
また、本殿へと向かう第四鳥居から第五鳥居に至る長い階段の途中には、境内社である曾我神社があります。
これは箱根権現の稚児であった曾我十郎祐成・曾我五郎時政の曾我兄弟の霊を慰めるために建立された神社で、今日も心願成就の守護神として崇敬されているそうです。
この箱根神社から4kmほど離れたところには曾我兄弟の墓があり、車であれば10分ほどで行けますので、ぜひ合わせてお参りしてください。
さて、今回の記事には鳥居の写真が多く登場しますが、箱根神社の鳥居といえば第一鳥居を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
お正月の箱根駅伝で5区と6区のランナーたちが次々と駆け抜ける姿をテレビでご覧になった方も多いのではないかと思います。
そして、もう一つ象徴的な鳥居があります。
芦ノ湖や、箱根峠の道中からみえるこの湖上の鳥居は昭和39年(1964年)に鎮座1200年と東京オリンピック開催を記念して「平和」の扁額が掲げられたことから「平和の鳥居」と呼ばれています。
ちなみに、同じ「箱根」でもこの箱根神社のある「元箱根」というエリアと、温泉街である「湯本」というエリアは車で30分ほど離れた場所にありますので、初めて訪れる方はご注意くださいね。