こんにちは、よたろうです。
今回は伊豆の国市の守山八幡宮を紹介します。
データ
源頼朝が源氏再興を祈願した神社
守山八幡宮は、武運の神として源氏累代の崇敬を集めた八幡神を祀る神社で、治承4年(1180年)に以仁王から平家追討の令旨を受け取った源頼朝は、それを開く前にここを参拝したと伝わっています。
鳥居の脇にある「史蹟 源頼朝挙兵之碑」と題された石碑には、源頼朝が平家追討をこの守山八幡宮に祈願し、頼朝軍が夜襲をかけた山木兼隆の館から火の手が上がるのを見て、悲願達成を喜んだ……といった旨のことが書かれています。
この守山八幡宮のすぐ近くには鎌倉幕府初代執権・北条時政が建立した願成就院がありますが、吾妻鏡によると建久6年(1195年)に願成就院に毎晩のように石が飛んできては本堂の扉を破ったり、天井から人が歩くような物音がしたり、といったことがあったと記されていますが……
頼朝は「鎮守を崇拝すれば怪現象はなくなる」として、怪異を鎮める神事を執り行うことを命じたそうですが、平家追討の初戦となった山木館襲撃を成功に導いてくれたこの守山八幡宮に厚い信仰を寄せていた証左とも言えますね。
さて、石造りの大鳥居をくぐるとすぐに舞殿がありますが、その奥には142段もの急な石段があり、それを登り切ったところに本殿があります。
この石段がなかなかの曲者で、142段という段数もさることながら、かなりの勾配、かつ一段一段の幅が狭く、気温が高かったこともあって汗だくになりながら恐る恐る登りました。
また、石段を登り切ってすぐのところに本殿が鎮座しており、石段と本殿との間には数十cmの幅しかないため、参拝中に少しでもバランスを崩したら真っ逆さまに転落してしまうのではないか……という、ちょっとした恐怖心も覚えましたよ。
石段を登り切ったら、まずは本殿の左右どちらかに避けて息を整えてから、改めてお参りすることを強くお勧めします。
ちなみに、舞殿・本殿に掲げられている扁額の「八幡宮」という文字ですが、鎌倉の鶴岡八幡宮のそれと意匠が何となく似ていませんかね?
鶴岡八幡宮のように明確に鳩が描かれているわけではありませんが、「八」の字に何となく鳩(というか鳥)の面影を感じなくもありません。
鳩(鷹との説もあるそうです)が八幡神の使いであるされていると聞いたことがありますが、その知識が私に必要以上に「八」の字を鳥様に見せているだけなのかもしれませんが(笑)