すべての道は鎌倉に通ず

「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【畠山重忠ゆかりの地】薬王寺(横浜市旭区)

こんにちは、よたろうです。

今回は横浜市旭区の薬王寺(六ツ塚)を紹介します。

データ

www.city.yokohama.lg.jp

北条時政に謀殺された畠山重忠一族が眠る六ツ塚

仁智勇の三徳を兼備し、その清廉潔白な人柄から「坂東武士の鑑」とも称された畠山重忠が、元久2年(1205年)に武蔵国の掌握を狙った北条時政の策謀により無実の謀反の汚名を着せられ、北条義時率いる大軍に攻め滅ぼされた「畠山重忠の乱」。

薬王寺にはこの戦で命を落とした畠山重忠をはじめ、一族郎党を埋めたという六ツ塚があります。

住宅街にひっそりと佇む薬王寺さん

畠山重忠戦死の地」の石碑

自らに謀反の疑いをかけられているとは知らず、北条時政から「急ぎ鎌倉に出頭するように」との命を受けた重忠は居住地であった菅谷館(現在の埼玉県比企郡)を出立し、鶴ヶ峰(横浜市旭区)に差し掛かったところで義時軍数万騎に襲い掛かられ、時政の策に嵌められたことを悟りました。

重忠の臣下たちはいったん菅谷館に引き返して軍勢を立て直すべきと進言しますが、重忠は毅然として「戦支度を整えることは謀反を認めることになり、永久にその汚名が残る」と臣下たちを諭し、覚悟を決めて決戦に挑みます。

しかし、そこは多勢に無勢、数時間の激戦の末に重忠は愛甲季隆の矢に倒れ、一族郎党134騎とともに玉砕してしまいました。この薬王寺に遺る六ツ塚には、畠山重忠とその一族郎党が分散して葬られたものと言われています。

境内に点在している6つの塚

台座に「畠山重忠公」と彫られたお地蔵様

この薬王寺から歩いて7~8分ほどのところには畠山重忠首塚や、終焉の地であることを示す「畠山重忠公碑」等々、畠山重忠ゆかりの史跡が多くありますので、ぜひとも合わせて散策してみてはいかがでしょうか。

kamakura13.hatenablog.com

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ちなみに、私事で恐縮ですが私の実家はこの薬王寺のから歩いて10分ほどのところにありまして、地元ゆかりの武将として小さい頃から「畠山重忠」という名前は耳に馴染みの深い存在ではあったんですが……実は割りと最近まで畠山重忠がどの時代にどんな活躍をした人物なのかを知らなかったんですよね。。。

今回、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に畠山重忠が登場することを知って色々と調べていくうちにその人となりに魅せられるようになり、すっかり畠山重忠の虜になってしまいました。今では「畠山重忠公は郷里の誇り」と胸を張って言えるようになりましたよ。

もちろん、その誇りの決して小さくないウエイトを大河ドラマ畠山重忠を演じる中川大志さんが占めているのは言うまでもありません(笑)

アクセス

神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町2-14-1
相鉄線 鶴ヶ峰駅から徒歩約13分
駐車場なし