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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【源頼朝・畠山重忠ゆかりの地】慈光寺(比企郡ときがわ町)

こんにちは、よたろうです。

今回は比企郡ときがわ町の慈光寺を紹介します。

データ

  • 名称:都幾山 一乗法華院 慈光寺
  • 宗派:天台宗
  • 本尊:千手観音
  • 拝観料:志納
  • 訪問日:令和4年9月21日

www.temple.or.jp

源頼朝が戦勝を祈願した畠山一族ゆかりの古刹

慈光寺は天武天皇2年(673年)に奈良の興福寺の僧である慈訓が千手観音を安置し、その約100年後の宝亀元年(770年)律宗の僧である道忠が開山となって創建されたという、1300年以上もの歴史を持つ古刹です。

いかにも歴史ある名刹といった雰囲気の山門

なかなかに情報量の多い本堂入り口

この慈光寺は、文治5年(1189年)の奥州征伐の際に源頼朝より戦勝祈願のため愛染明王像を贈られたとされ、さらに建久2年(1191年)に頼朝が寺領として1200町歩(10反=1町歩≒1ha)を寄進した源頼朝寄進状が今なお残っているそうです。

また、畠山重忠をはじめとした畠山一族とも深い関わりがあったとされ、歴代の寺僧の最高職(別当)には重忠の伯父・厳耀や、重忠の子である重慶・円耀兄弟がその名を連ねています。

ちなみに、私が慈光寺を訪れたときは住職の奥様に応対いただきましたが、この奥様がたいへんサービス精神旺盛な方で、「この後に用事があるので短時間なら」とのことで本堂に上げていただけたのですが、御朱印を書いてくださる間も千手観音についての解説や、畠山重忠に関するエピソードを丁寧に聞かせてくださいました。

さらにはそれに止まらず、12時のお勤めである鐘撞きも「せっかくなのでご一緒に」と誘ってくださいました。除夜の鐘などではなく、お勤めとしての鐘撞きをさせていただく機会など滅多にないので、お作法や唱える経文を教わったうえで、心を込めて撞かせていただきましたよ。

誠心誠意、撞かせていただきました

埼玉県立嵐山史跡の博物館のWEBサイトでは、この慈光寺には「重忠が奉納する梵鐘を担いで山道の参道を登った」という伝説が紹介されていましたが、この鐘のことだったのでしょうか?

ranzan-shiseki.spec.ed.jp

奥様に伺ってもこの伝説のことはご存じなかったので、真偽のほどはちょっと怪しいものなのかもしれませんが、「鵯越の逆落とし」で愛馬・三日月を背負って駆け下ったという伝説といい、数々の怪力伝説を持つ畠山重忠らしい逸話ですよね。

また、本堂から少し山を登ったところにある観音堂には、本尊である木造千手観音立像が祀られていますが、その観音堂の外陣の天井には「夜荒らしの名馬」が安置されています。

本尊である木造千手観音立像を安置する観音堂

観音堂に吊るされた「夜荒らしの名馬」

日光東照宮の「眠り猫」で有名な彫刻師・左甚五郎の作というこの馬像は、夜ごとにこっそり抜け出しては田畑を荒らしまわり、怒った村人たちによって捕獲されて観音堂の上に納められてしまった……と伝わっているそうです。

この他にも見どころのたくさんある慈光寺ですが、交通の便があまりよろしくないため、車でお参りされることを強く推奨いたします。

道中は彼岸花が見ごろでした

アクセス

埼玉県比企郡ときがわ町西平386
「慈光寺入口」バス停から徒歩約40分
駐車場あり