こんにちは、よたろうです。
今回は深谷市にある、井椋(いぐら)神社と鶯の瀬を紹介します。
データ
【井椋神社】
- 名称:井椋神社
- 祭神:猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
- :武甕槌命(たけみかずちのみこと)
- :經津主命(ふつぬしのみこと)
- :天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
- :比賣神(ひめがみ)
- 訪問日:令和4年9月22日
【鶯の瀬】
- 名称:鶯の瀬
- 訪問日:令和4年9月22日
畠山一族の守護神を勧請した神社
井椋神社は、畠山重忠の父・重能が畠山荘司となって秩父からこの地に進出してきた際に、重能の祖父・重綱が現在の秩父市下吉田にある椋(むく)神社を勧請してきた神社と伝えられています。
椋神社は代々秩父平氏の守護神として崇敬されており、この井椋神社も畠山氏累代の守護神であったと推測されます。
治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵の際、父・重能が大番役で京に上っていたために一族を率いることになり、衣笠合戦で三浦義明を討ち取るなど平氏方として戦った重忠は後に頼朝に帰伏しましたが、この井椋神社には境内社として源氏の白旗を祀った白旗八幡神社があることから、頼朝に臣従した後も重忠をはじめとした畠山一族の崇敬を集めていたのでしょうね。
鶯の鳴き声に導かれて洪水を回避した伝説
また、社殿の裏手の荒川沿いには「鶯の瀬」の碑が建立されています。
この地には、畠山重忠が榛澤成清のもとを訪れた帰路に豪雨に遭い、川が増水して荒川を渡れず困っているところ、一羽の鶯が美しい鳴き声で浅瀬に導いてくれたために無事に渡ることができたという言い伝えがあるそうです。
その際に畠山重忠が詠んだといわれる歌がこちらです。
時ならぬ 岸の小笹の鶯は
浅瀬たずねて 鳴き渡るらん
ちなみに、榛澤成清(はんざわなりきよ)とは畠山重忠の乳兄弟と考えられている家臣で、重忠が平家方として戦うか、あるいは源氏方につくかを相談するなど、側近中の側近であったと言われているそうです。
「推し武将は畠山重忠」などと言っている私ですが、ここを訪れるために色々と調べるまでは榛澤六郎成清の名を知りませんでした。建久2年(1205年)の「畠山重忠の乱」で主君とともに討ち死にしたとのことですので、畠山重忠とその一族郎党を祀る横浜市旭区の薬王寺を次に訪れる際には、畠山重忠だけでなく榛澤成清にも思いを馳せてお参りしたいと思います。