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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【比企能員ゆかりの地】正法寺(岩殿観音)(東松山市)

こんにちは、よたろうです。

今回は東松山市正法寺(しょうぼうじ)を紹介します。

データ

  • 名称:巌殿山 修善院 正法寺
  • 宗派:真言宗智山派
  • 本尊:千手千眼観自在菩薩
  • 拝観料:志納
  • 訪問日:令和4年9月22日

比企能員を中興の祖とする古刹

正法寺は、寺伝によると養老2年(718年)に僧・逸海(いっかい)が岩殿山の岩窟に観音像を安置し、その傍らに正法庵という草庵を結んだのが始まりとされているそうです。

本尊の千手観音を祀る観音堂

鎌倉時代には源頼朝の命により比企能員が復興し、本尊の千手観音は頼朝の妻・政子の守り本尊として信仰が厚かったと言われ、頼朝の没後の正治2年(1200年)にはその意志を継いだ政子によって堂宇が再建されたと伝わっています。

そう書いてありました

この正法寺(岩殿観音)は坂東三十三観音霊場の第十番札所に選ばれていますが、第九番の慈光寺、第十一番の安楽寺とともに、比企郡では33の札所のうち3つが札所となっており、頼朝が厚い信頼を寄せる比企能員の領地から有力な寺院が推挙されたことが窺えますね。

第十番札の石柱

kamakura13.hatenablog.com

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なお、本堂から観音堂に至る石段の途中にある立派な仁王門の仁王像は運慶作であったそうですが、江戸時代に焼失してしまったとのことで、現在のものは文化年間(1804年~1818年)に再建されたものだそうです。

ぜんぜん仁王像が写ってないッスね。。。

色々と調べてみると、焼失してしまったのは仁王門・仁王像だけではなく、前述の観音堂も兵火や火災による幾多の焼失を経て、明治時代に移築された建物なんだそうです。戦火が絶えない時代のこととはいえ、度重なる火災で歴史的な建造物や仏像などが焼失してしまうというのは、胸が締め付けられる思いですよね。。。

ちなみに、こちらの正法寺では社務所で受付をすると本堂に上がらせていただくことができ、御本尊様の写真も撮らせていただけました。

山門とその奥の本堂

ただし、撮影はOKでしたがブログへの掲載は「とくに禁止はしませんが常識の範囲内でお願いします」とのことであったため、今回は個人で楽しむにとどめて掲載は控えることにしました。ご覧になりたい方はぜひ正法寺さんを訪れてお参りしてください。

代わりと言ってはなんですが……社務所の脇にいたカワイ子ちゃんをご堪能いただければと思います。

猫を見かけたら写真を撮るのが流儀

アクセス

埼玉県東松山市岩殿1229
山村学園短期大学」バス停から徒歩約5分
駐車場あり