こんにちは、よたろうです。
今回は鎌倉市の満福寺を紹介します。
データ
源義経が逗留し「腰越状」を書いた寺
満福寺は天平16年(744年)に行基が創建し、承安年間(1171~1175年)に高範が再建した古刹ですが……満福寺といえば何を差し置いても源義経が「腰越状」を書いたことで有名ですよね。
壇ノ浦の戦いで平家を討ち滅ぼし、京から鎌倉へ凱旋しようとした義経でしたが、異母兄である「鎌倉殿」源頼朝の許可なく後白河法皇から官位を受けたことや、壇ノ浦の戦いで安徳天皇を自害に追い込み、かつ三種の神器の一つである宝剣を失ったことなどから頼朝の怒りを買ってしまいます。
義経が鎌倉入りを許されず、鎌倉郊外の腰越の地に留め置かれた際に、自らに叛意がないことを示すために頼朝の側近である大江広元に託した書状が、有名な「腰越状」です。
写真の石像のように、腰越状は義経の郎党である武蔵坊弁慶が下書きをしたためたとされているようですが、弁慶ゆかりのものが数多く残されています。
なお、弁慶が腰越状を草案すべく墨をすっているとき、草むらでコオロギがしきりに鳴いていたので「やめろ!」と叫んだところ、コオロギはぴたりと鳴きやみ境内は静まり返ったといい……なんと今日もこの境内ではコオロギが鳴かないと伝えられているそうです。
この伝承を検証しに、秋口に満福寺を訪れるのも一興かもしれませんね(笑)
また、拝観料200円を納めると本堂内を見学させていただくことができます。
終ぞ頼朝に許されることはなかった義経は藤原秀衡を頼って奥州へと赴くも、頼みの綱であった秀衡が病没し、鎌倉の圧力に屈した藤原泰衡の軍勢に囲まれた衣川館で自害して果てることになりますが……そんな源義経の一生を描いた一連の鎌倉彫の襖絵は一見の価値ありですので、ぜひご覧になってください。
ちなみに、この満福寺には「べんけい」ちゃんという猫がいます。
あの岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」にも登場した美猫ちゃんで、なかなかのフォトジェニックですので、この子に会いに訪れるのも全然アリだと思いますよ(「べんけい」ちゃんという名前ですが女の子です)。