すべての道は鎌倉に通ず

「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【源義経・武蔵坊弁慶ゆかりの地】満福寺(鎌倉市)

こんにちは、よたろうです。

今回は鎌倉市の満福寺を紹介します。

データ

  • 名称:龍護山 医王院 満福寺
  • 宗派:真言宗大覚寺派
  • 本尊:薬師如来
  • 拝観料:200円(境内散策のみであれば志納)
  • 訪問日:令和4年12月10日

www.manpuku-ji.net

源義経が逗留し「腰越状」を書いた寺

満福寺は天平16年(744年)に行基が創建し、承安年間(1171~1175年)に高範が再建した古刹ですが……満福寺といえば何を差し置いても源義経が「腰越状」を書いたことで有名ですよね。

すぐ目の前を江ノ電が通っています

拝観料200円を納めると本堂内を見学できます

壇ノ浦の戦いで平家を討ち滅ぼし、京から鎌倉へ凱旋しようとした義経でしたが、異母兄である「鎌倉殿」源頼朝の許可なく後白河法皇から官位を受けたことや、壇ノ浦の戦い安徳天皇を自害に追い込み、かつ三種の神器の一つである宝剣を失ったことなどから頼朝の怒りを買ってしまいます。

義経が鎌倉入りを許されず、鎌倉郊外の腰越の地に留め置かれた際に、自らに叛意がないことを示すために頼朝の側近である大江広元に託した書状が、有名な「腰越状」です。

江戸時代に作られたという腰越状の写し

腰越状は弁慶の草案によるものなんですね

写真の石像のように、腰越状義経の郎党である武蔵坊弁慶が下書きをしたためたとされているようですが、弁慶ゆかりのものが数多く残されています。

弁慶の手玉石

弁慶の腰掛石

なお、弁慶が腰越状を草案すべく墨をすっているとき、草むらでコオロギがしきりに鳴いていたので「やめろ!」と叫んだところ、コオロギはぴたりと鳴きやみ境内は静まり返ったといい……なんと今日もこの境内ではコオロギが鳴かないと伝えられているそうです。

この伝承を検証しに、秋口に満福寺を訪れるのも一興かもしれませんね(笑)

また、拝観料200円を納めると本堂内を見学させていただくことができます。

終ぞ頼朝に許されることはなかった義経藤原秀衡を頼って奥州へと赴くも、頼みの綱であった秀衡が病没し、鎌倉の圧力に屈した藤原泰衡の軍勢に囲まれた衣川館で自害して果てることになりますが……そんな源義経の一生を描いた一連の鎌倉彫の襖絵は一見の価値ありですので、ぜひご覧になってください。

我が子との別れを嘆く静御前

雪の中を弁慶とともに平泉に向かう義経

ちなみに、この満福寺には「べんけい」ちゃんという猫がいます。

社務所にいたところを撮らせていただきました

あの岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」にも登場した美猫ちゃんで、なかなかのフォトジェニックですので、この子に会いに訪れるのも全然アリだと思いますよ(「べんけい」ちゃんという名前ですが女の子です)。

アクセス

神奈川県鎌倉市腰越2-4-8
江ノ島電鉄 腰越駅から徒歩約3分
駐車場あり