こんにちは、よたろうです。
今回は茅ヶ崎市にある、旧跡懐嶋山の碑(えな塚)を紹介します。
データ
- 名称:旧跡懐嶋山の碑(えな塚)
- 訪問日:令和5年2月11日
源頼朝の側室・丹後局の子の胎盤(えな)を納めた塚
旧跡懐嶋山の碑(えな塚)は、新湘南バイパスと圏央道(さがみ縦貫道路)を結ぶ茅ヶ崎ジャンクションの橋下にある石碑で、ここから300mほど離れたところにある宝生寺が所有し祀っています。
懐島(ふところじま)といわれたこの一帯はかつて源頼朝の家臣であった大庭景能の所領でしたが、石碑の傍らの解説板によると、源頼朝の側室である丹後局が、頼朝の子を身籠ったことを北条政子に知られてしまったことから、大庭景能の屋敷に匿われてひっそりと男児を出産し、その子の胎盤(えな)を納めたことから「えな塚」と呼ばれるようになった……とのことです。
「側室」といいつつ、政子から逃れるように匿われて出産したことからも、実際のところは丹後局は頼朝の「愛人」という立ち位置の女性だったのでしょうか。
このとき生まれた三郎、後に忠久と名乗ることになるこの子こそが、薩摩国を本拠地とした島津氏の祖である島津忠久であるといわれています。
なお、ここで紹介した「丹後局」とは後白河法皇に近侍した女性ではなく、比企能員の妹で、前述の大庭景能の屋敷への隠匿も比企能員の願い出によるものなのだそうです。
ちなみに、横浜市戸塚区にも丹後局の供養塔があり、近隣の神社で出産した男児が後の島津忠久であると伝わっています。
どちらが本物か……などという野暮なことを言うつもりはありませんが、直線距離にして20kmあまり離れた地で同じような話が伝えられ、それぞれ史跡が残っているというのも面白いですよね。
今回紹介したえな塚に関しては茅ヶ崎市立図書館に所蔵されている「茅ヶ崎の民話劇」に「えな塚物語」として紹介されています。「えな塚物語」はPDFで読むこともできますので、興味のある方は下記のリンクURLよりご覧になってみてください。
https://www.lib.chigasaki.kanagawa.jp/toshow/html/dl/3_mukashi/3-006-1.pdf