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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【源義経・武蔵坊弁慶ゆかりの地】牛若丸弁慶像(京都市下京区)

こんにちは、よたろうです。

今回は京都市下京区にある、牛若丸弁慶像を紹介します。

データ

  • 名称:牛若丸弁慶像
  • 訪問日:令和5年3月10日

ja.kyoto.travel

京人形のような可愛らしい石像

牛若丸弁慶像は、京都市を流れる鴨川に架かる五条大橋の西詰に設置されている、牛若丸(源義経の幼名)と武蔵坊弁慶の石像です。

丸々として可愛らしいフォルム

現在の五条大橋は往復8車線もの大きな橋

五条大橋は牛若丸と弁慶が出会ったとされる場所で、童謡「牛若丸」でその出会いの様子が歌われています。

一、京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる

二、牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へあがって手を叩く

三、前やうしろや右左 ここと思えば またあちら 燕のような早業に 鬼の弁慶あやまった

ウィキペディア 「牛若丸 (童謡)」の項より引用

牛若丸 (童謡) - Wikipedia

1000本の太刀を奪うべく道行く人々を襲う弁慶が、あと1本というところで五条大橋で出会った牛若丸に決闘を挑みますが、欄干から欄干へと飛び交う牛若丸に翻弄されて返り討ちにされ、降参した弁慶は牛若丸の家来になる……という内容を歌ったものですね。

ただし、室町時代の軍記物語「義経記」の挿絵では二人は清水観音(清水寺)で戦っている姿が描かれていて、橋の上で戦ったというのは後世の創作であった可能性が高いんだそうです。

実際のところ、五条大橋が建造されたのは豊臣秀吉の時代のこととされていますし、そもそも当時「五条橋」と呼ばれていたのは現在の「松原橋」とのこと。

案内板には天正18年(1590年)に作られたとの記述が

五条大橋の300mほど北側に架かる松原橋

どうやら能楽の「橋弁慶」や歌舞伎の「五条橋」などで、今風に言うと「映える」舞台として橋の上で戦ったと脚色されたものが、あたかも事実であるかのように伝わっている……というのが実情のようです。

まぁ、そうは言っても牛若丸vs弁慶=五条大橋というのは、もはや覆しようのないほどに日本人のDNAに刷り込まれたイメージですし、声高に「本当は違うんだよ!」というのも野暮ってもんですけどね(笑)

近隣にある公園も「牛若ひろば」ですし

アクセス

京都府京都市下京区 西橋詰町
京阪電車 清水五条駅から徒歩約2分
駐車場なし