こんにちは、よたろうです。
今回は京都市左京区の鞍馬寺を紹介します。
データ
牛若丸が天狗の下で修業をした「尊天信仰」の霊山
鞍馬寺は、牛若丸(源義経の幼名)が7歳の頃から十年間、昼は学問、夜は武芸の修行をした地として知られており、能の「鞍馬天狗」などでも有名な寺院です。
鞍馬寺では「尊天」というあまり耳に馴染みのない仏様が本尊として祀られていますが、尊天とは一体の仏様ではなく、「護法魔王尊」「毘沙門天」「千手観音菩薩」が三身一体となったものです。
牛若丸は鞍馬寺で大天狗から兵法や武芸を学んだという伝説がありますが、尊天のひとりである護法魔王尊がその大天狗だと言われています。
ちなみに、大天狗=護法魔王尊は650万年前に金星から地球に降り立った「サナト・クマラ」(ヒンドゥー教の神話・説話に登場する賢人)がその正体とされており、「鞍馬」という地名も「サナト・クマラ」が転じたものと言われているそうですが……何ともスケールの大きな話で常人にはなかなか理解が難しいですね(笑)
そんな鞍馬寺には、この地で幼少期を過ごした牛若丸(源義経)ゆかりのスポットが数多く存在しています。
まずは入山して10分ほど歩いたところにある、牛若丸が住まいとした東光坊の跡に昭和15年(1940年)に建てられた「義経公供養塔」。
この義経公供養塔から30分ほど山道を登ると鞍馬寺の本殿金堂に辿り着きますので、この先へは本殿金堂やその周辺を参拝しつつ、息を整えてから進んでください。
次いで、牛若丸が毎夜、奥の院にある「僧正が谷」へ剣術の修業に通ったときに喉を潤した清水という「息つぎの水」。
さらには、平家が父・源義朝の仇と知り、奥州平泉の藤原秀衡を頼って鞍馬寺を出奔する際に、名残を惜しんで境内の石と背比べをしたとされる「背比べ石」。
そして、奥州で非業の死を遂げた義経の御霊を「遮那王尊」として祀る「義経堂」。この辺りが牛若丸が天狗に兵法や武芸を習ったという「僧正が谷」です。
これらのスポットは、本殿金堂から貴船へと至る約1.5kmほどのハイキングコースに点在しています。写真を撮ったりしながらゆっくりと歩くと1時間以上はかかる道程ですが、波乱の人生を駆け抜けた義経が幼少期を過ごした自然の中で、往時に思いを馳せるのも一興かと思いますよ。
義経の、抜群の身体能力を活かした「八艘飛び」等の身軽な動きや、数々の奇襲戦法を成功させて戦功を挙げた発想力は、この地で天狗の手ほどきを受けて育まれたもの……というのも何となく納得してしまう、そんな雰囲気を感じる霊山です。