こんにちは、よたろうです。
今回は高松市の六萬寺を紹介します。
データ
安徳天皇が仮の御所として過ごした寺院
六萬寺は、天平年間(729年~748年)に全国的に流行した伝染病を鎮めるために、聖武天皇が行基菩薩に命じてこの地に寺院を建立してお祈りをさせたところ伝染病が消滅し、その後有志によって6万躯の小仏像を安置されたことから「六萬寺」と称したと伝わっています。
伝染病を根絶させたその霊験があって以来、多くの信心を集めて平安時代には七堂伽藍を供えた壮麗な大寺院になりましたが、天正11年(1583年)には失火により伽藍のほとんどが焼け失せてしまったとのことです。
そんな六萬寺は、源平合戦さなかの寿永2年(1183年)、安徳天皇が屋島に御遷幸(天皇・上皇が他の場所に移ること)された際、御殿の造営が間に合わず、安徳天皇と一門は三種の神器とともに翌年まで御行在所(仮の御所)として逗留された寺としても知られています。
また、文治元年(1185年)の屋島合戦の折には、源義経がこの地の鎮守である勝軍地蔵愛宕大権現に戦勝祈願をしたとも伝わっているそうです。
安徳天皇の滞在中は、この地に1000年以上続く神事である「子供神相撲」をお見せして幼帝を慰めたという言い伝えもあるそうです。
さらに、六萬寺に隣接するため池・大谷池の北東約200mあたりには、六萬寺が御行在所になった際に、安徳天皇に供えた水を汲んだと伝わる「杉の井」があります。
ここはかつては老杉の下にあったことから「杉の井」と呼ばれていますが、安徳天皇の生母・平徳子がここで身支度を整えたからなのか別名「建礼門院姿見の井戸」とも呼ばれており、湧き出る水は透明で甘露のように甘く、大干ばつでも枯れることがなかったと伝わっているそうです。
六萬寺周辺は緑豊かで風光明媚な落ち着いた雰囲気ですが、数え8歳という若さで悲劇的な入水によって崩御された安徳天皇がその晩年を過ごされた地と思うと、何だか切なくやりきれない思いになってしまいますね。。。