こんにちは、よたろうです。
今回は広島市佐伯区にある、源範頼の五輪塔を紹介します。
データ
鎌倉から逃れた範頼が遭難して落命した伝説の地
源範頼の五輪塔は、鎌倉時代の後期に範頼の末裔である吉見氏が現在地に建立したと伝わっています。
※範頼の没後に子孫が「吉見氏」と称した経緯についてはこちらの記事をご参照ください。
この地に源範頼の五輪塔があると知ったときは「なぜ広島に?」という疑問を禁じえませんでしたが、謀反の濡れ衣を着せられて異母兄である源頼朝の不興を買い、鎌倉方に命を狙われるようになった範頼が、九州に落ち延びる途中の海上で嵐に遭って命を落とした……という伝説がこの地にはあるからなのだそうです。
荒れ果ててしまったために昭和47年(1972年)に取り壊されてしまったそうですが、吉見氏はこの五輪塔の他に「蒲冠者」「蒲殿」と呼ばれた範頼を祀る蒲神社(御曹子社)も建立したといわれています。蒲神社は明治の頃までは祭も盛大に行われていたといいますから、源範頼は長い年月に渡ってこの地で愛されていたのでしょうね。
※蒲神社はここから歩いて10分ほどの観音神社に合祀されたとのこと。
定説では伊豆に流された後、建久4年(1193年)に幽閉されていた修善寺で誅殺された……とされていますが、「吾妻鏡」には幽閉された後に関する記述はなく、誅殺されたと記す史料も範頼の失脚から100年以上経ってからのものしかないとのことですので、この伝説もあながち眉唾ではないのかもしれません。
ちなみに、この五輪塔は「喜生園」という養護老人ホームの敷地内にあるのですが、私が訪れたときは駐車場の工事が行われていて、ちょっと回り道をしないと行けない状態になっていました。
また、最寄り駅である広島電鉄宮島線の楽々園駅からこの「喜生園」という養護老人ホームへと至る道程は徒歩約15分ほどですが、住宅街の狭い路地はスマホでマップと睨めっこしながらでも少々分かりにくいかもしれないので、現地を訪れてみたいと思われる方はこの看板を目印にしていただければと思います。