こんにちは、よたろうです。
今回は田方郡函南町にある、北条宗時 狩野茂光の墓を紹介します。
データ
- 名称:北条宗時 狩野茂光の墓
- 訪問日:令和4年7月9日
「宗時神社」とも呼ばれる北条宗時の墓
当ブログでは初登場となる、北条時政の嫡男であり、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時の実兄である北条宗時。
治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵に際しては山木館の襲撃の先陣を務めるなどの中心的な役割を担った宗時と、伊豆の豪族で頼朝の挙兵に従軍した工藤茂光(狩野茂光)の墓が、JR東海道本線の函南駅にほど近い丘の上にあります。
石橋山の戦いで敗れた頼朝軍は分散して再起を図ることになり、甲斐国へ向かった父・時政と弟・義時とは別行動をとった宗時は、山を下りたところで伊藤祐親の軍勢に包囲されて討ち取られたとされています。
また、工藤茂光は石橋山の戦いで大庭景親、伊藤祐親らと交戦するも敗れて自害したとのことですが、その肥満体のために思うように走ることができず、足手纏いになることをよしとせず外孫に頼んで介錯されたとも伝わっているそうです。
大河ドラマでは工藤茂光を恰幅のいい米本学仁さんが演じていましたが、こういった史実に基づいたキャスティングだったんですね。
大河ドラマでは源頼朝が北条館に残してきた観音像を取りに戻る途中、北条宗時が工藤茂光とともに善児の毒牙にかかって命を落としてしまい、Twitterでは「全部大泉のせい」なんてハッシュタグがトレンド入りしたりもしましたよね(笑)
なお、宗時らが討ち取られたのは「早河」の辺りとされていますが、この界隈には早河(早川)という地名はありません。一説にはこの墓のすぐそばを流れる「冷川」のことを指すのでは?ともされているようですが……真相は歴史の彼方です。
ちなみに、五輪塔の脇にあった案内板によると、拝殿やご神体は無いもののこの北条宗時の墓は「宗時神社」として祀られているそうですが……
土地の人から「時まっつあん」と呼び親しまれた宗時神社としてこの地に祭られている。
「時まっつあん」という愛称から、この地で親しまれてきたのは宗時ではなく、宗時の御霊をこの地に祀った父・北条時政のほうなのでは……などと思わなくもありません。