こんにちは、よたろうです。
今回は深谷市にある、畠山重忠公史跡公園を紹介します。
データ
- 名称:畠山重忠公史跡公園
- 訪問日:令和4年9月22日
畠山重忠の生地にして聖地
畠山重忠公史跡公園は、畠山重忠が誕生したと伝わる「畠山館跡」があった場所が整備されてつくられた公園で、重忠の銅像や墓、産湯の井戸などがあります。
この畠山重忠公史跡公園があるのは埼玉県深谷市の畠山……ということで、この地こそが文武両道に優れ、謹厳実直で情に厚く、仁智勇の三徳を兼ね備えた「坂東武士の鑑」こと畠山重忠のお膝元、まさに聖地と言えるのではないかと思います。
園内には畠山重忠ゆかりの数々の史跡がありますが、まずは「畠山重忠公産湯ノ井戸」から紹介しましょう。
畠山重忠は長寛2年(1164年)、武蔵国秩父の荘司(荘園の管理者)であった父・畠山重能と、相模国の豪族三浦義明の娘である母・眞鶴姫の間に二男として誕生しましたが、ここはその産湯に用いた井戸と伝わっているそうです。
次に畠山重忠の墓を紹介します。
上写真の覆屋の中には6基の五輪塔がありますが、そのうち4基はもともとこの地にあったもので、残る2基はここから歩いて7~8分のところにある満福寺から移設されたものと考えられているそうです。
ただし、移設された2基のうちのどちらかが畠山重忠の墓とされているそうですが、6基のうちのどれが移設された2基かは不明とのことですので、おおよその造立時期からの推定ということのようですね。
その他にも、畠山重忠が先祖供養のために秩父にあった一族の墓地に植えた木を親木とする伽羅の木や……
秩父から畠山に居を移して畠山荘司となり、畠山姓を名乗るようになった重忠の父・畠山重能の墓や……
嘉元2年(1304年)に畠山重忠の百回忌供養のために建立されたと伝わる「板石塔婆」、さらには畠山重忠公没後800年の記念事業の一環として植えられたしだれ桜や慰霊碑等々、園内のどこを見ても畠山重忠とその一族にまつわる史跡があり、「畠山重忠公史跡公園」の名に違わぬ見どころ満載な公園です。
私は実家も現在の住まいも畠山重忠終焉の地である二俣川にほど近く、幼いころから「畠山重忠」という名前は耳に馴染みのある響きだったので、いつかここを訪れるのが夢……というと大袈裟ですが、一つの目標だったんですよね。
そんな「地元のヒーローの地元」を初めて訪れ、畠山重忠公への特別な思いがより強くなりました。