こんにちは、よたろうです。
今回は高松市に点在する、屋島合戦の平氏方にまつわる史跡を紹介します。
データ
- 訪問日:令和5年4月22日/23日
安徳天皇の行在所を護る海上拠点に築かれた総門跡
寿永2年(1183年)、平氏は安徳天皇を奉じ、屋島の行宮(内裏)ができるまで六萬寺を行在所としましたが、当時は海だったこの場所に門を構え、海辺の防御、また上陸の拠点としました。
しかし、源氏軍が平氏を急襲すると、たちまち源氏軍が占領するところとなったため、往時の里人は「源氏の総門」と呼んだとのことです。
景清の「錣引き」の伝説
平氏方一の豪傑とされる悪七兵衛景清と、源氏方の美尾屋十郎の壮絶な一騎打ちの伝説で、大薙刀で十郎の太刀を打ち落とし、逃げようとする十郎の兜の錣(しころ)を掴んだ景清……互いに引き合っていましたがついに錣が引き千切れ、十郎は辛くも逃げおおせたといいます。
十郎が景清の腕力を、景清が十郎の首の強さをお互いに賞賛し合ったと伝わっていますが……錣が千切れたとなると、さすがに十郎の首の強さのほうに軍配が上がるような気がしますよね(笑)
平氏の船団の船だまりである「船かくし」
安徳天皇を奉じて屋島周辺に陣を敷いて勢力を回復しようとした平氏が、小山の陰になり屋島の本営から見えないこの浦を兵船の船だまりとしました。
平教経の小姓・菊王丸の墓
源氏方の佐藤継信が、大将・源義経の身代わりとなって平教経の強弓に倒れたとき、教経に仕えていた菊王丸は継信に駆け寄って首を切り落とそうとしましたが、そうはさせまいとする継信の弟・佐藤忠信の弓によって射殺されました。
菊王丸は教経に抱きかかえられて自らの船に帰りましたが、息を引き取りました。そんな菊王丸を憐れんだ教経によって、この地に葬られたと伝わっています。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は源氏サイドから描かれた物語であり、かつ、屋島合戦はだいぶ端折られていたので、平氏方についてはほぼ触れられていませんでしたが、こうした史跡の数々に往時の確かな息吹を肌で感じることができる……これこそがフィールドワークの醍醐味ですね。
アクセス
【総門跡】
香川県高松市牟礼町牟礼2424-6
琴電志度線 八栗駅から徒歩約1分
駐車場なし
【景清の錣引き】
香川県高松市牟礼町牟礼
琴電志度線 八栗駅から徒歩約11分
駐車場なし(与一公園の無料駐車場利用可)