こんにちは、よたろうです。
今回は廿日市市の厳島神社を紹介します。
データ
瀬戸内海の制海権を得た平清盛が造営した神社
厳島神社は推古天皇元年(593年)、当時宮島を治めていた豪族・佐伯鞍職(さえきのくらもと)が神勅を受けて社殿を建てたのが始まりとされています。
平安時代の末期になると、瀬戸内海の制海権を手中に収めたことで巨万の富を得た当時の安芸守・平清盛が、夢枕に立った僧のお告げによって厳島神社の造営を行い、仁安3年(1168年)には今日と同程度の大規模な社殿が整えられたといいます。
平清盛が造営したことで平家一族から篤い崇敬を受けた厳島神社ですが、清盛の官位が上がるにつれて承安4年(1173年)には後白河法皇、治承4年(1180年)には高倉天皇の御幸があるなど、多くの皇族が参詣したと伝わっています。
平家が滅亡し源氏の世になっても、宮島の人々は厳島神社を造営し篤く信仰した平清盛に対して愛着を持っており、没後770年にあたる昭和29年(1954年)には「清盛公の御遺徳を顕彰しよう」という機運が高まり、厳島神社の北西に位置する西松原に「清盛神社」が創建されました。
宮島でフェリーを降りてすぐのところには平清盛の像がありますが、これは清盛が厳島神社の造営を指揮した50代の頃をイメージした姿とされ、京都の方角を向いているそうです。
なかなかに風格のある銅像ですよね。
さて、この厳島神社は社殿や拝殿など6棟が国宝に指定されていますが、それ以外にも重要文化財に指定されている建造物がありますので、象徴的なものをいくつかご紹介したいと思います。
まずは何と言っても宮島のシンボル的な存在でもある「大鳥居」。これ、実は土台が海中深くに埋め込まれているのではなく地面に置いてあるだけなんですよね(内部に無数に詰め込まれている石の重みで自立しています)。
続いては「反り橋」。かつては天皇が派遣する勅使が参拝する際に、この反り橋を渡って本殿に入ったことから「勅使橋」とも呼ばれています。
最後は国内で唯一の海に浮かぶ「能舞台」。平成3年(1991年)の台風で創建以来初めて倒壊してしまいましたが、平成6年(1994年)に再建されました。
そして「宮島といえば」で外せないのが島内にたくさんいる鹿たち。この子たちを愛でる目的で宮島・厳島神社を訪れる方も少なくないのではないでしょうか。
アクセス
広島県廿日市市宮島町1-1
JR 宮島口駅または広島電鉄 広電宮島口下車
JR西日本宮島フェリーまたは宮島松大汽船で約10分