こんにちは、よたろうです。
今回は高松市に点在する、佐藤継信にまつわる史跡を紹介します。
データ
- 訪問日:令和5年4月22日/23日
「義経四天王」の一人、佐藤継信
佐藤継信は、治承4年(1180年)に平家打倒のために挙兵した源頼朝のもとに源義経が奥州から駆けつける際、藤原秀衡の命により弟・忠信とともに義経に随行した武将で、「義経四天王」の一人に数えられています。
※「四天王」といっても源平盛衰記やその他の古典、さらには伝承によってその顔触れが異なり、「義経四天王」に数えられる人物は10名以上いるようですので、「義経四天王」≒「義経に随行した忠臣たち」くらいに捉えていただければと思います。
屋島合戦において弓の名手として知られる平家の武将・平教経がまさに義経を射落とさんとしたそのとき、継信は真っ先に義経を防ごうと進み寄り、身代わりとなって命を落としてしまいました。
屋島合戦の舞台となった香川県高松市内には、この佐藤継信の忠死にまつわる史跡がたくさんあります。
平教経の強弓に倒れた地・射落畠(いおちばた)
佐藤継信の墓(牟礼町/屋島)
「佐藤継信の墓」は2ヶ所あり、牟礼町の墓所内には義経の愛馬・太夫黒の墓もあります。太夫黒は義経が後白河法皇から賜り、「鵯越の逆落とし」をやってのけた名馬ですが、継信の供養のために志度寺の覚阿上人に譲られたと伝わっています。
屋島東町のほうの墓の敷地内には第二次世界大戦で亡くなった方々の墓も多数ありますが、国のために戦って命を落とした方々を、義経の身代わりとして忠死した佐藤継信になぞらえてその霊を悼んだのではないかと思われます。
佐藤継信の菩提寺・洲崎寺
義経の身代わりとなって討ち死にした佐藤継信の亡骸は、戦火によって焼け落ちた洲崎寺の本堂の扉に乗せて、源氏の本陣である瓜生ヶ丘まで運ばれたと伝えられています。
ちなみに、その源氏の本陣跡は洲崎寺から1kmちょっと離れた所にあります。
佐藤継信は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には登場しないため、当初は当ブログで取り上げる予定はありませんでしたが、このようにたくさんの史跡が残る屋島合戦の英雄の一人を紹介しないわけにはいきませんよね。
アクセス
【射落畠】
香川県高松市牟礼町牟礼
琴電志度線 八栗駅から徒歩約2分
駐車場なし
【佐藤継信・太夫黒の墓】
香川県高松市牟礼町牟礼2395
琴電志度線 八栗駅から徒歩約2分
駐車場なし
【佐藤継信の墓】
香川県高松市屋島東町400
琴電志度線 八栗駅から徒歩約30分
駐車場なし