こんにちは、よたろうです。
今回は高松市の安徳天皇社を紹介します。
データ
安徳天皇の御在所のあった地に建立された神社
安徳天皇社は、寿永2年(1183年)に源義仲(木曾義仲)の入京に伴い、平宗盛以下平家一門に連れられて三種の神器とともに都落ちした安徳天皇のために造営された御所があったとされる場所に建てられた神社です。
この地は、壇の浦の入江に臨み、背後には険しい屋島の峰、東には八栗の山を控えた「天然の要害」ともいえる立地で、追い詰められた平宗盛率いる平家一門にとってはまさに「最後の砦」ともいうべき場所であったようですね。
なお、ここに御所が造営されるまでは、対岸の牟礼に現存する六萬寺を仮の御所にしたとされています。
安徳天皇といえば、源頼朝に派遣された源範頼・源義経ら鎌倉源氏軍との戦いに敗れた平家一門が壇ノ浦での最終決戦にも敗れて滅亡に至った際、母方の祖母である二位尼(平時子)に抱きかかえられて壇ノ浦の急流に身を投じ、僅か8歳(数え)で崩御した悲劇の幼帝として知られています。
この入水に関しては諸説あるようで、安徳天皇を抱いて入水したのが二位尼というのは「平家物語」の描写で、「吾妻鏡」では二位尼や建礼門院(安徳天皇の母・平徳子)らに仕えた按察使局伊勢(あぜちのちぼねいせ)であるとされていますが……いずれにしても、あまりにも悲しい最期ですよね。。。
ちなみに、安徳天皇は壇ノ浦で入水せず、平家の残党らとともに落ち延びたとする伝説が、北は青森県から南は鹿児島県に至るまで、全国各地に数多く残っているそうです。
これも後世の「何としても生き延びていてほしい」という願望の成せるところなのでしょうか。