こんにちは、よたろうです。
今回は茅ヶ崎市にある、旧相模川橋脚を紹介します。
データ
- 名称:旧相模川橋脚
- 大正15年 国の史跡に指定
- 平成25年 国の天然記念物に指定
- 訪問日:令和4年5月30日
www.city.chigasaki.kanagawa.jp
源頼朝の謎の死に深い関わりを持つ史跡
大正12年(1923年)の関東大震災とその余震によって、地中に埋まっていた橋杭が水田に出現したというこの旧相模川橋脚は、建久9年(1198年)に源頼朝の重臣であった稲毛重成が亡き妻(北条時政の娘)の供養のために架けた橋の橋脚と考えられているそうです。
この橋の落成供養に源頼朝一行が渡り初めをしたその帰路、鶴嶺八幡宮にさしかかったときに源義経・源行家らの亡霊が現れ、驚いて落馬をした頼朝は重傷を負い、翌正治元年(1199年)に死去したとされています。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、源頼朝が波乱に満ちた51年の生涯を閉じ、嫡男・頼家が二代目の「鎌倉殿」となってからが物語の本番を迎えることになろうかと思いますが、三谷幸喜さんがこの悲劇がどう描くか注目ですね。あるいは、またしても善児が暗躍することのなるのでしょうか……
※執筆時点では奥州征伐後、八重さんの身に悲劇が訪れるところまでが放送されています。
なお、ここから歩いて20分ほどのところにある龍前院とういお寺さんには十基の五輪塔がありますが、これらは源頼朝の落馬の責任を取って自害をした、警護の武士10人の墓とも伝わっているそうです。
鎌倉のみならず、当時の日本全土に衝撃を与えるほどの大事件だったと思いますが、警護も文字通り命懸けだったんですね。。。
ちなみに、この旧相模川橋脚から西へ1.5kmほどのところに茅ヶ崎市と平塚市を結ぶように架かる「馬入橋(ばにゅうばし)」があります。お正月の箱根駅伝のコースにもなっているため、ちょっと珍しいその名前を聞いたことのある方も少なくないと思いますが、この「馬入」という地名は前述の源頼朝の落馬にまつわる逸話に因んでいます。
他にも、この近辺には源頼朝が見たとされる亡霊を鎮めるために建立された神社や塚もありますので、後日また別の記事で紹介しますね。
※2022年6月6日追記※
アクセス
【旧相模川橋脚】
神奈川県茅ヶ崎市下町屋1-3
JR 茅ヶ崎駅から徒歩約35分
神奈中バス 「今宿」バス停から徒歩約5分
駐車場なし(龍前院は駐車場あり)
【龍前院】