こんにちは、よたろうです。
今回は茅ヶ崎市の御霊神社を紹介します。
データ
源頼朝を死に至らしめた義経の亡霊を祀る神社
創建年代は不詳のようですが、言い伝えによると治承年間(1177年~1182年)にこの一帯を治めていた平景能(=大庭景義。大庭景親の兄)が、この地にあった毘沙門堂に祖先の鎌倉景政の霊を祀ったのが、この御霊神社であるとされています。
建久9年(1198年)、源頼朝が相模川における橋の落成供養の帰路に現れた源義経らの亡霊に驚いて落馬をして重傷を負ったことが原因で翌年死去したとされていますが、その義経の怨霊を鎮めるため、里人たちが義経の霊をこの神社に合祀したと伝わっているそうです。
※源頼朝の死にまつわる史跡(旧相模川橋脚)に関する記事を書いていますので、よろしければこちらもご覧ください。
しかし、吾妻鏡をはじめとした史料から読み取られる「史実」が必ずしも「事実」ではないのは百も承知ですが、当時の鎌倉界隈に様々な怨念が渦巻いていたであろうことに疑う余地はなく、亡霊だ怨霊だという多少オカルトチックな逸話であっても「きっとそうだったんだろうなぁ」と納得してしまいますよね。
ちなみに、私がここを訪れたのは平日の夕方だったので周囲に人はまったくいませんでしたが、地元がこういった「ゆかりの地」としては大河ドラマで取り上げられるというのは大きなイベントのようで、この御霊神社の社殿の近くには氏子さんたちやご近所の方々が作ったと思しき掲示板が設置されており、ちょっとほっこりとした気持ちになりました。
今後も「鎌倉殿の13人」のゆかりの地めぐりを続ける中で、こういった実際に足を運ばないと分からない「ちなみに」も、できる限り紹介していきたいと思います。