こんにちは、よたろうです。
今回は高松市の義経神社を紹介します。
データ
源義経が愛馬・太夫黒の病気平癒を祈願した社
義経神社は、元々は宝殿または祈祷所と称していた社が、昭和56年(1981年)に「義経神社」と改められたものなのだそうです。
元暦元年(1185年)の屋島合戦の際に、この社で源氏方の大将である源義経が愛馬「太夫黒(たゆうぐろ)」の病気平癒の祈願をして全快したことから、その霊験にあやかろうと近隣のみならず遠方からも病気平癒を願う人々が訪れたといいます。
由緒によると、太夫黒の全快に義経はおおいに感激し、神職に褒美として太刀や具足を賜り、佐藤嗣信の姓を下された……とありますが、この「佐藤嗣信」というのは義経四天王の一人・佐藤継信のことだと思われます。
由緒書きによると、その神職はお金をもらうことなく祈祷をしたことから「幣無太夫」と名を改め、太夫黒(馬)を全快に導いたことと、義経の郎党である武蔵坊弁慶から一字をいただいて「馬慶」を名乗り、当地の佐藤氏の中興の祖となり現在まで連綿と代々伝わっているのだそうです。
近隣の氏子や崇敬者たちの手によって元和8年(1622年)に社殿が新築され、源義経をはじめとした三神を祀ったというこの義経神社ですが、「義経神社」となったのが40年あまり前のことと比較的最近のこととはいえ、その歴史は相当に古いものなんですね。
……と、ここまで書いておいてなんですが。。。
冒頭に「元々は宝殿または祈祷所と称していた社」と記しましたが、ここから南へ200mほどのところに「平尾八幡神社」という神社があり、義経神社はこの平尾八幡神社の祈祷所だったようです。
ググってみると平尾八幡神社には立派な太夫黒の銅像があり、今回の記事の内容をまとめたような由緒を記した碑もあるようなのですが……事前の下調べが十分ではなく、この記事を書きはじめてからからその存在を知りました。
本来であれば平尾八幡神社をメインにして、「祈祷所だった場所が現在の義経神社です」……と副次的に紹介するという構成の記事にすべきだったようですね。「取材」前の下調べは綿密に、という教訓になりましたよ。。。
またうどんを食べに香川を訪れる機会があったら、そのときこそは忘れずに平尾八幡神社も訪れようと思います。