こんにちは、よたろうです。
今回は京都市中京区の神泉苑を紹介します。
データ
源義経と静御前の出会いの地
神泉苑は、もともとは延暦13年(794年)に桓武天皇の禁苑(皇居の庭園)として造園された寺院で、当時の敷地は南北約500m、東西約240mにおよぶ池(現在の法成就池)を中心とした大庭園であったといいます。
神泉苑は源義経と静御前が出会った場として有名で、室町時代の軍記物語である「義経記」には以下のような内容が記されています。
平安時代末期に3年間にも渡って干ばつが続き、神泉苑に集められた見目麗しい100人の白拍子が、後白河法皇の行幸を仰いで雨乞いの舞いを舞ったものの、99人目までは効験がなく、最後の一人として静御前が舞いを舞ったところ……一天にわかに掻き曇り、三日三晩大雨が降り続いたとのこと。
この雨によって国土は安穏を取り戻し、静御前の舞いに感激した後白河法皇は「日本一」の宣旨を賜ったのだそうです。
この雨乞いの神事の席に同席していた源義経は、水干に立烏帽子という姿で見事な舞いを奉納していた静御前を見初め、その後に側室としたと伝わっています。
しかし、二人の幸せは長くは続かず、平家追討の戦いで異母兄である源頼朝の不興を買った義経はやがて鎌倉の軍勢に追われる身となり、雪の吉野山で別れ別れとなった身重の静御前は母の磯禅師とともに鎌倉へと送られてしまいます。
鎌倉で源頼朝に鶴岡八幡宮での白拍子の舞いを命じられた静は義経を慕う歌を唄って頼朝を激怒させるも、北条政子の取り計らいで一命は取り留めますが……その後に出産した義経との子が男児であったために取り上げられ、その赤子は由比ガ浜に沈められてしまいました。
その後、京に帰された静御前と磯禅師の消息は杳として知れず、歴史の舞台からその姿を消しますが、日本の各地に墓所や供養塔が様々な伝説とともに残されていることからも、静御前は日本人の琴線に触れる「悲劇のヒロイン」なのでしょうね。
ちなみに、この神泉苑の法成就池のほとりにはかわいいアヒルが暮らしています。
神泉苑の公式WEBサイトに設けられた「アヒルの部屋」というページにも記載がありますが、自ら池に潜って虫や小魚を捕まえたり、神泉苑のお坊さんたちが適切に餌を与えたりしているそうなので、病気のもとになるパンやお菓子などは絶対にあげないようにしてくださいね。
アクセス
京都府京都市中京区門前町166
京都市営地下鉄東西線 二条城前駅から徒歩約3分
駐車場なし