こんにちは、よたろうです。
今回は横須賀市の西徳寺を紹介します。
データ
和田義盛が戦勝を祈願した「和田地蔵」を祀る寺
西徳寺は、鎌倉の材木座海岸にほど近い光明寺の末寺として永禄3年(1560年)に開かれました。
当時、廃寺であった真言宗の「源徳寺」、浄土真宗の「無量庵」、浄土宗の「東光寺」と「寿経寺」の4ヶ寺が併合され、現在の「無量寿院 東光山 西徳寺」と改められたとのことです。
境内には、和田義盛が出陣に際して戦勝を祈願したと伝わる和田地蔵が祀られています。
その戦勝祈願というのは、和田義盛が西徳寺の前に流れる川にお地蔵様を沈め、川上に流れれば戦に勝ち、川下に流れれば戦に敗れるという占いで、川上へと流れたお地蔵様を見た義盛はたいそう喜び、川からお地蔵様を引き上げてお堂を建て、戦勝にご利益のあるお地蔵様として大切に祀ったと伝えられているそうです。
この地蔵堂には「和田地蔵尊御詠歌」が掲げられていて、この戦勝祈願の占いの様子をリズミカルに紹介しています。
それにしても、お地蔵様を川に沈めてどちらに流れるかで戦の勝敗を占うというのが、何とも和田義盛らしい豪快な方法の戦勝祈願ですよね(笑)
また、西徳寺の裏山を登ったところには、文化・文政年間(1804~1830年)に姿を現すようになった異国船に備えて三浦半島沿岸を警備することになった会津藩士たちの墓があります。
前日までの台風による倒木やぬかるみ、そして大量の蚊に悪戦苦闘しつつ山道を登った先にある会津藩士の墓のさらにその先には、和田義盛の髭剃塚があります。
そこそこの大きさのある塚ですが、新編相模国風土記稿に「義盛塚山上に方三間許り、或は義盛髭剃塚とも唱う、由来詳かならず」とあるように、髭剃塚とも義盛塚とも呼ばれるこの塚が誰を(何を)埋葬したものかは定かではありません。
「謂れはよく分からないけど、和田義盛ゆかりの塚らしいから大切にしよう」というのが何とも大らかというか、和田義盛が領民から愛された存在であるが故、と言えるのかもしれませんね。
アクセス
神奈川県横須賀市鴨居2-20-4
「鴨居」バス停から徒歩約1分
駐車場あり