こんにちは、よたろうです。
今回は三浦市の光念寺を紹介します。
データ
- 名称:見龍山 光念寺
- 宗派:浄土宗
- 本尊:阿弥陀如来
- 拝観料:志納
- 訪問日:令和4年9月19日
遭難しかけた三浦一族を救った龍神を祀る寺
和田義盛による開基・創建とされる光念寺は、和田義盛が三浦半島に建立した「七阿弥陀堂」の一つとされています。
創建年は1190年とのことですが、調べてみても1190年の何月かまでは分からなかったため、文治6年(1月1日~4月10日)なのか建久元年(4月11日~12月31日)なのかは判然としません。
治承4年(1180年)に源頼朝が平家追討の挙兵をした際、和田義盛ら三浦の一族も参戦に呼応するも、祖父である三浦義明が守る本拠地・衣笠城が落城したため、先に安房国へと逃れた頼朝を追って久里浜から船を出します。
何とか海上に逃れた三浦の一族は疲労と飢えとで這う這うの体でしたが、和田義盛が龍神に祈ったところ、たくさんの魚が入った筌(せん=竹を編んだ籠)が流れ着き、これで飢えを凌ぐことができたとのこと。
義盛は龍神の御加護に対する感謝の意を込めて筌龍(せんりゅう)弁財天をこの地に祀ったと伝わっています。
写真の掲載は控えますが、この筌龍弁財天の像は8本の腕があり、それぞれに武具を持っているという独特なお姿をしています。
海上で龍神に救われた和田義盛ら三浦の一族は無事に安房国に辿り着いて源頼朝一行と合流し、後の鎌倉幕府成立に大きく貢献することになりますが、いかにも信心深いと伝わる和田義盛らしい逸話ですよね。
ちなみに、三浦半島には三浦一族や源頼朝にまつわる史跡がたくさんありますが、中でも和田義盛にゆかりのある寺社や史跡が圧倒的に多い印象です。
三浦半島を訪れる前までは三浦義明・三浦義澄・三浦義村の三代に関する史跡が多いものだとばかり思っていましたが、意外でしたね。まだまだ勉強が足りていない証左かもしれません(笑)