すべての道は鎌倉に通ず

「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【和田義盛ゆかりの地】来福寺(三浦市)

こんにちは、よたろうです。

今回は三浦市の来福寺を紹介します。

データ

miurahantou.jp

鎌倉・名越から遷された和田義盛菩提寺

来福寺は建永年間(1206~1207年)に和田義盛の開基、三浦義明のひ孫にあたる満昌院祐憲を開山として創建された、和田義盛菩提寺です。

山号の鹿穴山は「しゃあなさん」と読みます

元々は鎌倉市の名越に建立されましたが、建歴3年(1213年)の和田合戦によって和田氏が滅亡した後の建保5年(1217年)に和田氏発祥の地である和田(現在の三浦市初声町和田)に移転し、さらに時代を下った寛文10年(1670年)に現在の地に移転したとのことです。

和田合戦を経て鎌倉幕府にとって逆臣となった和田氏の菩提寺が鎌倉に居られなくなったために移転したのは分かりますが、二度目の移転は度重なる台風の被害を受けたためなんだそうです。たしかに、本堂の背後は山になっており、風よけになりそうな立地ですよね。

大きく風格のある、堂々とした佇まいの本堂

この来福寺には寺宝として絵画や仏具、和田義盛が所持していた鏡などが所蔵されているほか、三浦市文化財にも指定されている、公家の正装である衣冠束帯の和田義盛像が安置されています。

その他にも和田義盛の妻になったとも伝えられる巴御前が所持していたとされている品も伝えられているようですが……

残念ながらこの来福寺は観光客を積極的には受け入れておられず、拝観はできません。また、真宗大谷派では方針として御朱印の授与は行っていないためにいただくことはできませんので、御朱印集めを楽しみにされている方はご注意ください。
真宗大谷派御朱印を行っていない理由についてご興味をお持ちの方は、こちらをご一読ください(真宗大谷派東本願寺の公式サイト)。

jodo-shinshu.info

境内は自由に散策できます

山門の脇にある案内板によると、元禄10年(1697年)に建立と伝わる本堂は間口が9間(約16.4m)、奥行きが9間半(約17.3m)の大きさを誇る風格のある建物で、本山免許の格式を持つ三浦半島唯一の名刹とのことですが、観光地化されていないため、その規模に反してどこか素朴さを感じるお寺さんです。

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アクセス

神奈川県三浦市南下浦町1859
「池代」バス停から徒歩約15分
駐車場あり