こんにちは、よたろうです。
今回は鎌倉市にある、和田塚を紹介します。
データ
- 名称:和田塚
- 訪問日:令和4年12月10日
北条義時に滅ぼされた和田義盛と一族を弔う塚
和田塚は、建暦3年(1213年)に勃発した和田合戦(和田義盛の乱)で敗れた和田義盛一族の戦死者を埋葬した塚として伝わっています。
なお、信濃国の小県を本拠とする御家人である泉親衝の謀反(泉親衝の乱)に和田義盛の子・義直と義重、甥の胤長が関与したとして捕縛されたことに端を発した和田合戦で、和田氏の一族がほぼ滅亡に追い込まれた由比ガ浜はここから数百mほど南に位置しています。
和田塚のあるこの一帯はかつて「無常堂塚」という古墳時代の墳墓で、明治期の道路工事の際に土器や埴輪の破片、さらには無数の人骨が発掘され、その中には刀を握ったままの人骨もあったといい、これらが和田合戦のときのものであろうという推測のもと「和田塚」と呼ばれるようになりました。
敷地内にはここが和田義盛とその一族を弔う地であることを示す石碑が複数ありますが、そのいずれもが明治期に建てられたものと考えられているようです。
明治期にこの一帯が整備された際に、改めて供養のために建立されたのでしょうね。
また、これらの石碑の後方には五輪塔などの石塔が所狭しと立ち並んでいますが、背面に建立者や年月日が刻まれた上記の石碑とは異なり、いつ・誰が・誰のために安置したものかは分かっていません。
この和田塚は地元の青年会によって管理されているようですが、寺院や神社のように管理が行き届いた場所ではないため、崩壊してしまったり朽ち果ててしまったりした石塔や石仏も少なくないようです。
和田塚は閑静な住宅地にあり、敷地内には和田義盛やその一族を供養するためのものだけでなく、戦没者の慰霊塔や関東大震災殉死者の供養碑なども安置されており、その時代その時代で亡くなった方々を弔うための神聖な場所でもあるようですので、訪れるご予定のある方は静かにお参りをしてくださいね。