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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【後鳥羽上皇ゆかりの地】新玉津島神社(京都市下京区)

こんにちは、よたろうです。

今回は京都市下京区の新玉津島(にいたまつしま)神社を紹介します。

データ

  • 名称:新玉津島神社
  • 祭神:稚日女尊(わかひるめのみこと)
  •   :息長帯日女尊(おきながたらしひめのみこと)
  •   :衣通姫尊(そとおりひめのみこと)
  • 訪問日:令和5年3月10日

ja.kyoto.travel

後鳥羽上皇の勅命で創建された神社

玉津島神社は、文治2年(1186年)の後鳥羽上皇の勅命によって、歌人藤原俊成の邸宅に、和歌山県玉津島神社に祀られている歌道の神様「衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」を勧請したことに由来しています。

松原通の路地裏にさりげなく佇む石の鳥居

この新玉津島神社の創建から遡ること3年前、寿永2年(1183年)の後白河法皇院宣により、藤原俊成はこの邸宅を和歌所として「千載和歌集」の編纂を始めました。

同じ年に木曾義仲の軍勢が京の都に攻め入ったことで平家一門は都落ちしますが、藤原俊成の門下であった平忠度は危険を顧みず僅かな従者とともに都へ戻り、俊成の屋敷に赴きいて「一首でもいいから選んでほしい」と自分の歌が百余首収められた巻物を俊成に託します。

俊成は朝敵となった忠度の名を出すことを憚り、千載和歌集に次の歌を「詠み人知らず」として掲載したといいます。

さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな

千載集六十六

鳥居脇の案内板にはこの逸話が有名であることが記されていましたが……すみません、私はこの逸話はおろか、藤原俊成の名前も平忠度の名前も知りませんでした。。。

今回の記事はほぼこの案内板をベースに書いています

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では藤原定家の名前だけが出てきましたが、源実朝の歌道の指南役となった源仲章が「当代随一の歌人」と実朝に紹介した定家の父が、藤原俊成だったんですね。

ところで、数多の有名な神社仏閣のある京都で、とくに観光地というわけでもないこの新玉津島神社をご存知の方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか?

私は「地名+鎌倉殿の13人の登場人物名」といった感じでWEB検索をかけ、その中からブログの記事になりそうな寺社や名所を選んで訪れることが多いのですが、この新玉津島神社はホテルに荷物を置いて夕食のお店を探しているときにたまたま通りかかって発見しました。

境内は狭く、写真を撮るのも一苦労でした

なんとか写真に収めることができた社殿

「ゆかりの地めぐり」をしていて、どんな小さなものであっても目に付いた案内板や標柱はじっくりと読む癖がついていたおかげで出会えた神社……という気がして、これまでに訪れたゆかりの地の中でも、とくに(勝手に)深いご縁を感じています(笑)

アクセス

京都府京都市下京区玉津島町
京都市営地下鉄烏丸線 五条駅から徒歩約5分
駐車場なし