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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【後白河法皇ゆかりの地】法住寺(京都市東山区)

こんにちは、よたろうです。

今回は京都市東山区法住寺を紹介します。

データ

hojyuji.jp

後白河法皇院政を敷いた院の御所

法住寺は永祚元年(989年)に右大臣・藤原為光によって創建された寺院で、二条天皇皇位を譲った後白河上皇が院の御所(法住寺殿)として定め、院政を行った場所として知られています。

三十三間堂のすぐ隣にある法住寺

本尊の「身代わり不動」を祀る本堂

法住寺を中心とした法住寺殿の造営工事を終えた永暦2年(1161年)、後白河上皇はこの地に居を移し、栄華を極めていた平家の後ろ盾で周囲の広大な敷地を整備して北殿上御所・北殿下御所・南殿の三御所を造営しました。

また、長寛元年(1163年)には平清盛の寄進により、南殿の北側に三十三間堂を本堂とする蓮華王院が造営されています。

後白河上皇は嘉応元年(1169年)に出家して法皇となり、その後も法皇と平家の栄華を象徴するこの御所で院政を敷いていましたが、寿永2年(1183年)に木曾義仲の軍勢によって火がかけられて御所は灰燼に帰し、後白河法皇も幽閉されてしまいます(法住寺合戦)。

治天の君に刃を向けるという蛮行を犯した木曾義仲はその後の「宇治川の戦い」で命を落としますが、法住寺殿を失った後白河法皇は六条西洞院の長講堂に移り住んだ後、建久3年(1192年)に崩御。焼失した法住寺の敷地には新たに法華堂が作られ、法皇の御陵として定められました。

法住寺の山門の脇ある参道を通って、この後白河法皇の御陵をお参りすることができます。

法住寺の山門の脇にある参道入り口

この先へは進めないので、ここでお参りします

なお、後白河法皇がこの世を去ってから長らくは法住寺がこの「後白河天皇法住寺陵」を守ってきましたが、明治以降は宮内庁の管轄になったということです。

天皇陵ということで所管は宮内庁

前述のように隣接する三十三間堂はもともとこの法住寺を中心とした法住寺殿の一部であったことからも、三十三間堂を訪れる際にはぜひこの法住寺にもお参りしていただきたいところですね。

ちなみに、法住寺は「サザエさん」の作者である長谷川町子先生の菩提寺でもあり、遺骨の一部が分骨されているそうです。当ブログでは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地として紹介していますが、サザエさんのファンの方にとっても「聖地」と呼べるお寺さんといえるかもしれません。

アクセス

京都府京都市東山区三十三間堂廻り655
京阪電車 七条駅から徒歩約8分
駐車場あり