すべての道は鎌倉に通ず

「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【今井兼平ゆかりの地】今井城址(横浜市保土ヶ谷区)

こんにちは、よたろうです。

今回は横浜市保土ヶ谷区にある、今井城址を紹介します。

データ

  • 名称:今井城址
  • 訪問日:令和4年5月7日

www.city.yokohama.lg.jp

謎多き山城跡

木曾義仲重臣今井兼平横浜市郊外の山城跡……俄かには結び付かない組み合わせですが、文化・文政期に編まれた「新編武蔵国風土記稿」という武蔵国の地誌に、平安末期には今井兼平の居城であったとの伝承が紹介されているそうです(ただし「されど外に証とすべきことなし」とも記されているようで、真偽のほどは不明ですが……)。

一見すると通れるのかどうかの判断が難しい入口

なお、ここへ至る道程は難易度が高く、Googleマップを頼りにスマホ片手に探すもなかなか入口に辿り着けなかったんですが、民家の脇に草木に覆われた、人が通った跡があまりない獣道のような道を発見しました(「増田屋」さんというお蕎麦屋さんが目印です)。

足下に注意をしつつしばらく進み、かつては上下に鳥居が構えられていたと思われる急な階段を登ると、明らかに滅多に人が訪れることはないような少し開けたスペースに「今井城址」と書かれた記念碑、キリーク(梵字)の書かれた石碑、城山稲荷の祠、石塔が鎮座していました。

昭和のまま時間が止まってしまったかのような雰囲気

今井兼平といえば、木曾義仲とともに育ち、信濃を中心に越中や加賀等における戦で活躍し、京を追われ近江で討ち死にした義仲に殉じて自害をしたと伝えられているため、正直なところここが居城であったとの言い伝えは限りなく眉唾な気がしないでもないですが、こういった「いかにも」な伝承には地元の方々の思いやロマンが詰まっているようでいいですよね(なお、この今井城址のある横浜市保土ヶ谷区今井町の町名は今井兼平に由来しているとのことです)。

細郷元市長の署名入り記念碑

記念碑には時の横浜市長・細郷道一氏の署名が刻み込まれていることから、当時(昭和57年)は横浜市として守っていく予定であったことが想像されますが、今は鳥居も朽ち果てて廃棄されているように(上記の写真に廃棄された鳥居の一部が見えます)荒れ放題です。。。

ここも数ある横浜市が誇る貴重な歴史的な遺産の一つだと思いますので、横浜市としてきちんと管理・整備をしていただきたいと切に願います。

アクセス

横浜市保土ヶ谷区今井町111
JR 東戸塚駅から徒歩約30分(バス停「今井町」から徒歩約3分)
駐車場なし

【畠山重忠ゆかりの地】畠山重忠公碑/さかさ矢竹(横浜市旭区)

こんにちは、よたろうです。

今回は横浜市旭区にある、畠山重忠公碑と「さかさ矢竹」を紹介します。

データ

  • 名称:畠山重忠公碑・さかさ矢竹
  • 訪問日:令和4年5月2日

www.city.yokohama.lg.jp

生地・没地のコラボレーション

畠山重忠公碑(右奥)とさかさ矢竹(左手前)

別の記事で畠山重忠首塚と首洗い井戸を紹介しましたが、そこから厚木街道を挟んだ反対側にこの畠山重忠公碑と「さかさ矢竹」があります。

kamakura13.hatenablog.com

この石碑は昭和30年(1955年)に畠山重忠の生地である埼玉県深谷市畠山と、終焉の地である横浜市旭区鶴ヶ峰の有志により建立されたんだそうです。

そう書いてありました

智勇兼備で「坂東武士の鑑」と称され、その清廉潔白な人柄から誰からも愛されたという畠山重忠は、今昔を問わず生地でも没地でも愛され続けているんですね。

そして、この石碑のすぐ隣には「さかさ矢竹」があります。

昭和40年代までは少し離れた別の場所にあったそうです

傍らの解説板によると、畠山重忠がこの地で戦死する直前、「我が心正しかればこの矢にて枝葉を生じ繫茂せよ」と二本の矢を地面に突き刺したところ、やがてこの矢が自然に根付き、毎年二本ずつ生えて茂り続けて「さかさ矢竹」と呼ばれるようになったと伝わっているそうです。

さらに、ここから300~400メートルほど離れたところには畠山重忠が北条勢に取り囲まれてしまったとされる「矢畑・越し巻き」と呼ばれる古戦場がありますが、木曽義仲の「弓の清水」の伝説といい、鎌倉時代には弓矢に関する伝承や史跡が多いですね。

今はこの標柱があるだけ

www.city.yokohama.lg.jp

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では中川大志さんが畠山重忠を演じていますが、個人的にはこれ以上ない適役だと思っています。「独眼竜政宗」で伊達政宗渡辺謙さんのイメージが強固になったように、この作品でしばらくは畠山重忠中川大志さんのイメージが固定されるんじゃないですかね。

アクセス

横浜市旭区鶴ヶ峰本町1-1
相鉄線 鶴ヶ峰駅から徒歩約6分
駐車場なし(近隣に有料駐車場あり)

【源頼朝ゆかりの地】鬢手洗池跡(横浜市旭区)

こんにちは、よたろうです。

今回は横浜市旭区にある、鬢手洗池(びんだらいけ)跡を紹介します。

データ

  • 名称:鬢手洗池跡
  • 訪問日:令和4年5月4日

www.city.yokohama.lg.jp

源頼朝が戦勝祈願をした地

現在は標柱のみ

この鬢手洗池跡から歩いて数分のところにある白根神社は、源頼朝の祖先にあたる「八幡太郎」の通称で知られる源義家が信仰したと伝わっているそうです。

その源義家に倣い、源頼朝奥州藤原氏を滅ぼした奥州征伐の際に白根神社で戦勝祈願をし、この地にあった池の水で鬢(びん=頭の左右側面の髪)を撫でつけたとされています。

※以下、写真の標柱より全文を引用

源頼朝が奥州征伐の時、祖先の源義家にならって白根不動に勝利祈願に立ち寄り、この池で鬢をなでつけたと伝えられています。

Wikipediaの「白根神社」の項目にも鬢手洗池跡についての記述があり、こちらでは源頼朝が治承4年(1180年)の挙兵の際に勝利祈願をした、となっていますが、標柱のとおり文治5年(1189年)の奥州征伐の際……というのが横浜市の公式な見解のようですね。

ちなみに、この白根神社の境内には落差3mほどの「白糸の滝」があります。私の実家はここからほど近く、子どもの頃に何度か訪れたことがあるんですが、もっと落差があったような……と思って調べてみたら、平成3年(1991年)の護岸工事でちょっと低くなってしまったとのこと(5.5m→3.2m)。それでもここが横浜市の最大瀑布なんだそうですよ。

横浜が誇る名瀑・白糸の滝

今回紹介した鬢手洗池跡を訪れたいと思われる方は、ぜひ白根神社にもお立ち寄りください。

かわいいニャンコたちにも会えるかもしれません

アクセス

横浜市旭区白根4-18-10
相鉄線 鶴ヶ峰駅から徒歩約15分
駐車場なし(白根神社に駐車場あり)

【北条政子・源実朝ゆかりの地】寿福寺(鎌倉市)

こんにちは、よたろうです。

今回は鎌倉市寿福寺を紹介します。

データ

  • 名称:亀谷山 寿福金剛禅寺
  • 宗派:臨済宗建長寺派
  • 本尊:釈迦如来
  • 拝観料:志納
  • 訪問日:令和4年4月23日

www.trip-kamakura.com

北条政子源実朝母子の墓所

詫び寂びを感じる佇まい

寿福寺は、鎌倉幕府の第二代将軍・源頼家が亡くなった翌年である正治2年(1200年)に北条政子臨済宗の開祖・栄西を招いて創建された、「鎌倉五山」の第三位に位置づけられる古刹ですが、鎌倉五山の他の寺院と比べるとかなり地味な印象です(失礼)。

※上の写真の右端に「山門不幸」と書かれた白木の立て札がありますが、これは住職またはご家族にご不幸があった際に掲げられるものだそうです。この山門不幸のため、当面は御朱印の対応はしていただけないとのことですのでご注意ください。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、岡崎義実源頼朝の父・源義朝ゆかりの地である亀ヶ谷(かめがやつ)に御所を構えるよう北条義時を通じて頼朝に進言するも、「亀ヶ谷は手狭だ」と一蹴され、御所は大倉に決まる……というくだりがありましたが、この源義朝の旧邸があったとされるのがこの寿福寺の辺りだったそうです。

道中は運動靴推奨です

境内の墓地には北条政子源実朝の墓と伝わる五輪塔がありますが、そこへ至る参道はちょっとした山道になっているので、歩きやすい服装と靴でお参りしてください。

北条政子の墓

源実朝の墓

この北条政子源実朝の墓もそうですが、鎌倉には「やぐら」と呼ばれる横穴式のお墓や供養堂がたくさんあります。他所の風習や文化を詳しく知っているわけではありませんが、こういった横穴式墳墓っていうのは「いかにも鎌倉」な感じがします。

境内には他にも高浜虚子大佛次郎の墓もあり、歴史ファンのみならず文学ファンにも人気のお寺さんです。そういう意味においては、和歌をこよなく愛したという源実朝に相応しいとお寺さんだと言えるかもしれませんね。

アクセス

鎌倉市扇ガ谷1-17-7
JR・江ノ電 鎌倉駅から徒歩約8分
駐車場なし(近隣に有料駐車場あり)

【畠山重忠ゆかりの地】畠山重忠公首塚(横浜市旭区)

こんにちは、よたろうです。

今回は横浜市旭区にある、畠山重忠首塚を紹介します。

データ

www.city.yokohama.lg.jp

畠山重忠終焉の地

いきなり私事で恐縮ですが、私は生まれも育ちも横浜市旭区で、高校・大学の7年間、および就職後に実家を出て転居するまでの間の都合約15年に渡って、最寄り駅である相鉄線鶴ヶ峰駅を利用していました。

その鶴ヶ峰駅からほど近い旭区役所の裏手に、二俣川の戦いで命を落とした畠山重忠の首を祀ったと伝わる首塚があります。

祠は2021年10月に建て替えられたそうです

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で中川大志さんが演じる畠山重忠を見るにつけ、「畠山重忠公は郷里の誇り」なんて鼻高々な気分に浸っていますが、学生時代の私は日本史にてんで疎く、地元ゆかりの武将に「畠山重忠」という人がいたそうな……くらいの認識で、それが鎌倉時代の人物なのか戦国時代の人物なのかということすらも理解していませんでした。。。

興味を持って調べれば調べるほど、「坂東武士の鑑」とも称されるのも納得の、誰からも愛される武将であったことを知るところとなり、もっと早く知っていたかった……というか、知っていなければならなかったと後悔することしきりです。

なお、この首塚のすぐそばには「首洗い井戸」という、討ち取られた畠山重忠の首を洗い清めたと伝わる井戸の跡もあります。

現在は井戸は枯れ、跡地のみ

愛甲季隆、許すまじ(悪いのは時政だけど)

この周辺には他にも畠山重忠にまつわる史跡・旧跡が数多くあるので、また別の記事で紹介できればと思っています。

ちなみに、この首塚のある横浜市旭区には「あさひくん」というマスコットキャラクターがいるんですが、現在はこのあさひくんが畠山重忠に扮した「重忠あさひくん」が旭区のPR活動を行っているようです。なかなか可愛くないですか?

旭区役所のエントランス

地元ゆかりの武将が大河ドラマの主要人物として取り上げられる機会なんてなかなかありませんし、これをビジネスチャンスと捉えて、しっかりと「横浜市旭区」をアピールしてほしいですね(旭図書館の司書さんに伺ったところ、すでに「大フィーバー」とのことでした)。

アクセス

横浜市旭区鶴ヶ峰1-3-7
相鉄線 鶴ヶ峰駅から徒歩約5分
駐車場なし(近隣に有料駐車場あり)

【源頼朝ゆかりの地】鶴岡八幡宮(鎌倉市)

こんにちは、よたろうです。

今回は鎌倉市鶴岡八幡宮を紹介します。

データ

https://www.hachimangu.or.jp/

東国社会の中心地

神奈川県民の心の拠り所です

治承4年(1180年)、平家打倒を目指して鎌倉入りした源頼朝が、由比若宮社(現在の由比ヶ浜あたり)を現在の地に遷した……と、私の拙い文章で説明しても伝わりにくいと思うので、鶴岡八幡宮の公式ウェブサイトからの引用にて説明に代えさせていただきます。

始まりは、鎌倉幕府を築いた源頼朝公の祖先源頼義が、京都の石清水八幡宮を勧請(神様の御分霊を他の地に還し祀ること)したことです。頼義は石清水八幡宮を篤く信仰しており、源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀りました。
その後、源頼朝公が現在の地にお還しし、鶴岡八幡宮の基礎を造りました。

鶴岡八幡宮 https://www.hachimangu.or.jp/knowledge/ より引用 ~


源頼朝鎌倉幕府を開いたことで往時の武家の崇敬を集めただけでなく、信仰や文化、都市開発の中心でもあったこの鶴岡八幡宮は、今日も神奈川県民にとって特別な場所なんですよね。

平成22年(2010年)に強風によって鶴岡八幡宮の象徴でもあった大銀杏が根元から折れて倒れてしまったときは、胸が締め付けられる思いでしたもの。。。

再生した若芽もだいぶ大きくなりました

近頃は「パワースポット」なんていう触れ込みで紹介されることも少なくないですが、「そんな安っぽい言葉で言い表さないで!」という気持ちになります。

建保7年(1219年)に源頼家の子、公暁がこの木の陰に隠れて待ち伏せし、第三代将軍・源実朝を暗殺したと伝えらることでも有名な大銀杏ですが、これから1000年先の鎌倉ではどんな姿で、どんな歴史的な出来事を見届けることになるんでしょうか。

ところで、鶴岡八幡宮の楼門の額に書かれた「八幡宮」の文字の「八」が二羽の鳩で表されているのをご存知でしょうか?

ちょっと可愛らしい楼門の額

全国の「八幡宮」では鳩が神の使いとのことでこういったデザインになっているものと思われますが、ここから少し離れた若宮大路沿いに本店を構える豊島屋さんの銘菓「鳩サブレー」は、この額の鳩に由来しているんだそうですよ。

アクセス

神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
JR・江ノ電 鎌倉駅から徒歩約10分
駐車場なし(近隣に有料駐車場あり)

【巴御前ゆかりの地】横根稲荷神社(横浜市泉区)

こんにちは、よたろうです。

今回は横浜市泉区の横根稲荷神社を紹介します。

データ

  • 名称:横根稲荷神社
  • 祭神:宇迦之御魂大神うかのたまのおおかみ
  • 訪問日:令和4年4月30日

www.kanagawa-jinja.or.jp

巴御前ゆかりの「横根感念(かんねん)井戸」

見晴らしの良い高台にある風光明媚な神社です

木曽義仲の愛妾にして、武勇に優れた女武者とも伝わる巴御前大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、秋元才加さんが好演しています。第16回「伝説の幕開け」で義仲の下を離れて鎌倉に落ち延びるくだりは切なく、哀しく、涙なしには見られませんでしたよ。。。

鎌倉時代の軍記物語である「源平盛衰記」によると巴御前和田義盛に引き取られ、後に朝比奈義秀を生むことになるそうですが、大河ドラマではどのように描かれるのか楽しみです。

そんな巴御前が建歴3年(1213年)の和田合戦で和田義盛が敗れた際、木曽に落ち延びる道中、この横根稲荷神社で一夜を過ごし、境内の古井戸の水を化粧に使った……といういわれがあるんだそうです。

感念とは「感謝して懐かしむ」みたいな意味だそうです

実は、私はここから2Kmほど離れたところにある高校に通っていて、友人宅に行くのにこの辺りを何度も原チャリで通ったことがあるんですが、横根稲荷神社の存在など露も知りませんでした(何なら高校生にもなっていながら「巴御前」の名も知っていたかどうかすら怪しいです)。

青春時代を過ごした界隈に、当時は1ミリたりとも興味を持たなかった鎌倉時代について熱心に調べ、カメラを携えて再び訪れるっていうのも何だか不思議な感じです。

ちなみに、この横根稲荷神社の社殿は平成13年に新築されたとのことで、社殿も狐の像もまだ新しく綺麗なんですが、向かって左側の狐が咥えている巻物が、その色味も相まってちくわにしか見えませんでした(笑)

禰豆子ではありません

アクセス

横浜市泉区和泉町5963
相鉄線 いずみの駅から徒歩約12分
駐車場なし