こんにちは、よたろうです。
今回は藤沢市の長後天満宮を紹介します。
データ
渋谷重国の庇護で捲土重来を期す
今回の記事、当ブログは「大河ドラマ『鎌倉殿の13人』ゆかりの地をめぐるブログ」というコンセプトなので、タイトルを【佐々木秀義・阿野全成ゆかりの地】としていますが、正確を期するならば【渋谷重国ゆかりの地】になろうかと思います。
残念ながら今回の大河ドラマには登場していませんが、渋谷重国は渋谷荘(現在の神奈川県藤沢市・綾瀬市・大和市にあたる地域)を安堵された鎌倉幕府の御家人の一人であり、源範頼率いる木曾義仲の追討軍にも参加していたそうです。
鎌倉時代の歴史書である「吾妻鏡」によると、渋谷重国は平治元年(1159年)の平治の乱で源氏方として戦い、源氏が敗れた際には敗走する佐々木秀義(定綱・経高・盛綱・高綱兄弟の父)を渋谷荘に匿ったことを契機に、両氏に深い縁ができたとのこと。
そして、時を経た治承4年(1180年)の石橋山の戦いでは平氏に対する旧恩から大庭景親軍に属したものの、戦勝後の「佐々木一族を捕らえよ」との要請は拒否し、佐々木氏、および源頼朝の挙兵を聞いて京都・醍醐寺から東国に下る途上で佐々木兄弟と行き会った頼朝の異母弟・阿野全成を渋谷荘に迎え入れ、その後は源頼朝に臣従したんだそうです。
大河ドラマでは惚けた老将として描かれている佐々木秀義、そして伊豆山権現で怪しげな陰陽の術を披露する(してないけど)衝撃の登場となった阿野全成、この二人に劇中での絡みはありませんでしたが、この地でともに渋谷重国に匿われつつ捲土重来を期していた……というのも面白いですよね。「事実は小説よりも奇なり」といいますが、差し詰め「史実は大河ドラマよりも奇なり」といったところでしょうか。