こんにちは、よたろうです。
今回は横浜市港北区の鳥山八幡宮を紹介します。
データ
佐々木高綱の創建と伝わる八幡宮
治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵に従った佐々木四兄弟(定綱・経高・盛綱・高綱)の四男、佐々木高綱の屋敷がこの鳥山八幡宮の付近にあったとされています。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、緒戦となった伊豆目代・山木兼隆、および後見の堤信遠の襲撃の際にチラッと登場した程度で兄弟に目立った活躍は見られませんでしたが、史実では源平合戦における最初の一矢を放った次男の経高、宇治川の戦いで梶原景季と先陣を争った四男の高綱の活躍が有名ですよね。
佐々木氏といえば、別の記事でも紹介したように相模国渋谷荘(現在の神奈川県藤沢市・綾瀬市・大和市にあたる地域)で渋谷重国の庇護を受けていました。
恥ずかしながら私は今回の大河ドラマを見るまで佐々木秀義のこともその息子たちのことも知らなかったんですが、我が家から10km前後のところに名だたる武将たちゆかりの地があろうとは夢にも思いませんでした(ちなみに我が家は横浜市内ですが、鳥山八幡宮よりも藤沢市の長後天満宮のほうが近いです 笑)。
今回は訪れませんでしたが、この八幡宮のそばには前述の梶原景季との先陣争いの際に佐々木高綱が駆った名馬「生唼(いけずき)」の墓とされる「馬頭観音堂」がありますので、折を見て訪れてみたいと思います。
ところで、この記事を書くにあたって事前に神奈川県神社庁のWEBサイトで調べたら、この鳥山八幡宮の祭神は「應神天皇(おうじんてんのう)」となっていましたが、境内に掲げられていた縁起には「誉田別尊」と「天照大神」と書いてありました。
「どういうこと?」と思って調べてみたところ……日本書紀における應神天皇の名が「誉田天皇(誉田別尊)」なんですってね。元々日本の歴史には疎い私ですが、ブログを書くようになって毎回のようにこういった新しい発見があって楽しいです。
惜しむらくは、この知識欲が学生時代には絶望的なほどに欠如していたことでしょうか(笑)