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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【源頼朝・源義経ゆかりの地】公所浅間神社(大和市)

こんにちは、よたろうです。

今回は大和市の公所(ぐぞ)浅間神社を紹介します。

データ

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大和市に伝わる鶴舞伝説

創立年代は不詳のようですが、源頼朝が創建したと伝わるこの公所浅間神社。周辺には「つきみ野遺跡」という旧石器時代の遺跡が数多くあるなど、歴史的に「濃い」地域に鎮座しています。

かつての鶴間郷の総鎮守と伝わっています

源頼朝の創建と伝わる、との記載があります

この辺りは大和市の「下鶴間(しもつるま)」という地域ですが、この「鶴間」という地名にはいくつかの由来があり、その一つとして源義経がこの地を通ったときに鶴が舞うのを見た……というものがあります。「鶴舞い」が転じて「鶴間」になったということですね。
源頼朝が富士の鷹狩りの帰途にこの地を通り、鶴が舞うのをみて「鶴舞の里」と名付けたという説もあります。

この地には「鶴舞伝説」という伝承があり、それによると、壇ノ浦で平家を討ち滅ぼした源義経が、後白河法皇から官位を受けるなど源頼朝の意にそぐわぬ行動を重ねたことで鎌倉への凱旋を許されず、「腰越状」で知られる満福寺での待機の末に諦めて京へ向かう途中でこの浅間神社で休憩をしたそうです。

ここで鎌倉のほうへ飛んで行く一羽の鶴を見て「鶴でさえも自由に鎌倉へ行けるのに、平家を滅ぼした自分の凱旋が許されないとは」と嘆き、頼朝への土産として持ってきていた黄金等の数々の財宝を境内のどこかに埋め、お堂に「あさ日さし 夕日かがやく木の下に 黄金千両漆満杯」という歌を書き残して去っていった……とのこと。

そう、この地には義経の財宝の伝説が残っているんです!

……ただし、現在の公所浅間神社は往時とは違う場所に遷座されているので、この境内を掘り起こしても財宝は出てきませんので、くれぐれも妙な気は起こされませんようご注意ください(笑)

昭和50年に現在の地に遷座されたそうです

とはいえ、やっぱり「黄金千両漆満杯」というのは気になります。真偽のほどはともかくとして、いつの世も「財宝」や「埋蔵金」というワードには人々の胸をときめかす魔力がありますよねぇ。

アクセス

神奈川県大和市下鶴間391
東急田園都市線 つきみ野駅から徒歩約15分
駐車場あり