こんにちは、よたろうです。
今回は三浦市にある、三浦義村の墓と福寿寺を紹介します。
データ
【三浦義村の墓】
- 名称:三浦義村の墓
- 訪問日:令和4年9月19日
【福寿寺】
- 名称:岩浦山 福寿寺
- 宗派:臨済宗建長寺派
- 本尊:聖観世音菩薩
- 拝観料:志納
- 訪問日:令和4年9月19日
新旧2つの三浦義村の墓
鎌倉幕府の宿老の一人である三浦義澄の次男で、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではニヒルで皮肉屋な策士というキャラクターを山本耕史さんが好演している三浦義村の墓は、三浦半島の金田漁港にほど近い丘の上にあります。
写真の「三浦義村の墓」と書かれた階段を登っていくと、三浦半島にある三浦一族ゆかりの地を紹介する案内板がありますが、その裏手にひっそりと佇んでいる五輪塔のように積まれた石が三浦義村の墓と言われています。
これまで見てきた様々な人物の墓とされる五輪塔と比べてずいぶんと傷みが激しいな……と思いましたが、大正12年(1923年)の関東大震災による崖崩れで海に沈んでしまったとのことで、海中から拾い上げて積みなおしたものなんだそうです。
この五輪塔の少し先には、村人など多くの有志たちによって建てられた供養塔があります。
こちらの供養塔がいつ建てられたものなのかは諸説あるようですが、大正10年とも11年とも言われているようで……ということは、関東大震災の前から前述の五輪塔と併設されていたということなんですかね?
今日ではこれらの五輪塔と供養塔がどちらもが新旧の「三浦義村の墓」とされています。
三浦義村が開基の古刹
また、この墓所から歩いて2~3分のところには正治2年(1200年)に建立された、三浦義村が開基である福寿寺があります。
この福寿寺には寺宝として三浦義村が愛用したと伝わる鞍・鎧・脇差等が保存されており、本堂に上がらせていただいて実際に鞍を拝見することができました。
ちなみに、新旧二つの三浦義村の墓がある場所は元々はこの福寿寺の子院である「南向院」(現在は廃寺)であったようですが、寿永3年(1184年)の一の谷の戦いにおいて、鵯越の山道で道に迷って頂上に至った義村の馬の首に地蔵菩薩が現れ、「この坂を下るべし」とのお告げを受けて坂を駆け下り大勝を得た……と伝えられており、この有難い地蔵菩薩を本尊として祀ったのが南向院なんだそうです。
実際にこの辺りに足を運んでみると、金田海岸の波の音が聞こえ、緑が豊かで、鳶が悠々と空を舞う、実に風光明媚な場所ですが、権謀術数渦巻く鎌倉で暗躍した三浦義村にとって、この地は癒しの空間だったのかもしれませんね。