こんにちは、よたろうです。
今回は横浜市旭区にある、駕籠塚とすずり石水跡を紹介します。
データ
【駕籠塚】
- 名称:駕籠塚
- 訪問日:令和4年7月30日
【すずり石水跡】
- 名称:すずり石水跡
- 訪問日:令和4年7月30日
重忠戦死の報に悲嘆にくれ自害した「菊の前」の墓
元久2年(1205年)、謂れなき謀反の罪を着せられて北条氏に討たれた「坂東武士の鑑」畠山重忠。
現在の横浜市旭区の鶴ヶ峰には「畠山重忠の乱」で命を落とした重忠とその一族郎党を葬ったとされる六ツ塚がありますが、この六ツ塚のある薬王寺から歩いて5分ほどのところに、畠山重忠の妻「菊の前」の墓である駕籠塚があります。
「畠山重忠の妻」と言っても、菊の前とは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した北条時政の娘である「ちえ」のことではなく、時政と同じく13人の宿老の一人である足立遠元の娘です。
※先日、Twitterで「菊の前=ちえ」と紹介しましたが、これは誤りです。鎌倉時代に興味を持ったばかりで元々はあまり詳しくないのですから、もっとしっかり調べてから発信しないとダメですね。反省。
紀行では紹介されなかったけど、鶴ヶ峰には畠山重忠の内室・菊の前(大河ドラマでは「ちえ」)のお墓もあります。
— よたろう (@ftr_yotaro) 2022年9月18日
畠山重忠ゆかりの地をめぐるご予定の方は、ぜひこちらも訪れて手を合わせてください。#鎌倉殿の13人 #畠山重忠 pic.twitter.com/m6FaSb5IKF
その菊の前が、戦の知らせを受けて急ぎ駆けつけたものの、この地で重忠の戦死を知って悲嘆にくれて駕籠の中で自害し、駕籠ごと埋葬されたことで駕籠塚と呼ばれているそうです。
駕籠塚のすぐ傍には畠山重忠が討たれ、菊の前が自害をするに至る経緯が記された石碑がありますが……私が訪れた日はとにかく陽射しが強く、木々の陰で写真では読みづらいと思われますので、以下に書き出してみます。
武州鶴ヶ峰駕籠塚碑文
元久二年六月二十二日 畠山重忠公ハ岳父北條時政ノ策謀ニ因リ冤罪ヲ被ムル
北條義時大軍ヲモッテ之ヲ迎撃セントス
重忠公一族百三十四士悉ク死ヲ決スルノ悲報秩父・菅谷ノ館ニ達ス
内室急遽北條に至ラントスルモ公既ニ戦死ス
悲嘆慟哭シ乗駕中殉ズ
駕籠塚ハ永ク其ノ霊ヲ弔ウテ今日ニ至ル
畠山重忠が墨をすったと伝わる湧水跡
また、この駕籠塚からさらに5分ほど歩いたところには、畠山重忠が決戦の陣を張った際に墨をすったと伝えられている「すずり石水跡」があります。
周辺の地図を描いて布陣の作戦を立てたのか、はたまた菅谷の館で待つ菊の前をはじめとする家族に宛てた手紙を書いたのか……ここで何を書いた(描いた)のかまでは知る由もありませんが、畠山重忠の一挙手一投足すべてが中川大志さんの姿で脳内再生されてしまいます(笑)
ちなみに、現在は写真の標柱があるだけですが、昭和の初め頃までは湧水が流れ出ていたそうです。私は生まれてから30年ほどこの近辺に住んでいましたが、この辺りに湧水が出ていたとはまったく知りませんでしたよ。
なお、このすずり石水跡は道幅の狭い住宅街の中にあり、ご近所にお住いの皆さんのご迷惑になりますので、車の乗り入れはなさいませんよう、くれぐれもご注意ください。