こんにちは、よたろうです。
今回は平塚市にある、田村館跡を紹介します。
データ
- 名称:田村ノ館の跡
- 訪問日:令和5年2月11日
www.city.hiratsuka.kanagawa.jp
「鎌倉殿」も訪れた三浦義村の居館跡
田村館跡は、鎌村幕府の有力御家人である三浦義村の館(田村山荘)の跡地で、昭和35~37年に平塚市が住宅を建設した際に、地元の住民有志が由緒ある三浦義村の居館跡を後世に残すべく石碑を建立し、跡地の一部を市に寄付したのだそうです。
三浦義村は、第三代鎌倉幕府将軍(鎌倉殿)・源実朝の死後、後継の鎌倉殿に藤原頼経の擁立を支持し、その関係から承久元年(1219年)の鎌倉下向の際に頼経はここに5日間逗留したといいます。
また、吾妻鏡によると頼経はその後も数回この田村の館に来泊したといい、安貞2年(1228年)には時の執権・北条泰時や連署・北条時房ら鎌倉幕府の要人を伴って3日間に渡る遊覧を満喫したそうです。
この頃が、幕府宿老として北条氏に次ぐ地位となっていた三浦義村の権威がまさに絶頂期であったことが窺えますよね。
この田村の館は相模川の沿岸にあったとされる平城で、八王子街道と、古代から続く相模川の渡河点である「田村の渡し」を望む位置にあったとされています。
この辺りは江戸時代には旅籠屋などもあって「田村の宿」とも呼ばれており、「田村の渡し」は江戸幕府直営の渡し場として設置されていました。田村の館跡から歩いて2~3分のところには「田村の渡場跡」の石碑があります。
ちなみに、「田村」という地名はこの地が水田地帯であったことに由来しているようですが、一説には平安時代、坂上田村麻呂が奥州征伐の際に訪れたことにちなんだ……という説もあるそうです。
第四代鎌倉幕府将軍である藤原頼経がたびたび訪れたというこの田村の地が、遡ること400年以上前の征夷大将軍である坂上田村麻呂ゆかりの地であるかもしれないというのは、何とも壮大な歴史ロマンを感じずにはいられませんね。