こんにちは、よたろうです。
今回は三浦市にある、三崎三荘(花の三御所)跡を紹介します。
データ
【桜の御所跡】
【桃の御所跡】
【椿の御所跡】
三御所のいわれ
建久の昔(1190年代)、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝は三浦半島の南端にあたる風光明媚な三崎をたびたび訪れており、三つの別荘(御所)を設けました。それらはそれぞれ「桜の御所」「桃の御所」「椿の御所」と呼ばれています。
吾妻鏡にも「頼朝は一条高能を伴って三浦に渡った。三崎の津に山荘を建てるためである。足利義兼、北條時政以下多くの御家人が従い巷に溢れたという。頼家、政子、大姫らも追って訪れた」との記述があります(光念寺境内の案内板より引用)。
【桜の御所跡】本瑞寺
本瑞寺は元々ここから数百m離れた場所にありましたが、度重なる火災で享保4年(1719年)に現在の場所に移されたそうです。
頼朝はこの地に多数の桜を植え、城ヶ島の桜をも合わせて望見するといった、観桜の宴をしばしば催し、二代将軍・源頼家、三代将軍・源実朝もここを訪れたと伝わっています。
【桃の御所跡】見桃寺
残念ながら、この辺りが「桃の御所」跡で、鎌倉将軍がしばしば来遊した……ということ以外、特筆すべき情報を調べ上げることができませんでした。
大正初期に北原白秋がこの近辺に住んでいて、境内に歌碑がある等、「白秋文学コース」にも選定されているそうです。
【椿の御所跡】大椿寺
ここにはかつて源頼朝の寵愛を一身に受けていた愛妾が住んでいて、頼朝の死後に尼となり、「妙悟尼」と称して頼朝の菩提を弔うための寺としたとされています。
こちらも「白秋文学コース」に選定されている他、城ヶ島大橋を建設する際に裏山から多くの埴輪の欠片が出土したことでも有名です。
以上、いずれもが御所「跡」に建立された寺院であり、これらが往時の姿というわけではありませんが、この辺りが眼前に城ヶ島を臨む風光明媚な別荘地であったことは容易に想像できますが……
最後に紹介した大椿寺には愛妾が住んでいたとのことで、ここに政子と訪れたときには修羅場になっていたのでは?と、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ファンとしては心配になってしまいます(笑)
アクセス
【本瑞寺】
神奈川県三浦市三崎1-19-1
京急バス 「日ノ出」バス停から徒歩約2分
駐車場あり