こんにちは、よたろうです。
今回は京都市東山区にある、木曾義仲首塚を紹介します。
データ
【法観寺】
「朝日将軍」こと木曾義仲の首塚
京都東山のランドマーク的な存在である「八坂の塔」と呼ばれる五重塔がある法観寺の境内に、「朝日将軍」こと木曾義仲の首が葬らているという首塚があります。
木曾で挙兵して北陸から軍を進めた義仲は、飛ぶ鳥を落とす勢いで平家の軍勢を次々と撃破して寿永2年(1183年)に京に入り、その勢いから「朝日将軍」と呼ばれました。
しかし、皇位継承問題に介入したり、京都の守護としての任務を果たせなかったりといったことで後白河法皇の不興を買い、追い詰められた義仲は法皇の御所である法住寺殿を襲撃し、後白河法皇を幽閉してしまいます(法住寺合戦)。
翌寿永3年(1184年)、義仲は都に向かっていた源範頼・義経率いる鎌倉軍を迎え撃つべく京都の防備を固めようとしますが、治天の君に刃を向けて実権を握ろうとした一連の行動で人望を失っていた義仲に従う兵はなく「宇治川の戦い」で惨敗を喫します。
その後、粟津(現在の滋賀県大津市)で討ち死にした義仲の首は京都に届けられて晒された後、京都に残っていた家来の一人によって葬られ、「朝日塚」と呼ばれるようになったということです。
ちなみに、この法観寺の八坂の塔は中に入って仏像を拝むことができるのですが、さらには階段を登って2階部分まで上がることができます(3階以上は立ち入り禁止)。
まさか塔の中に入れるとは思っていなかったうえに、2階にまで上がれようとは夢にも思わなかったので、テンションがだだ上がりになって、すごく得をした気分になりましたよ。
なお、この「八坂の塔」のある法観寺は常時拝観を受け付けているわけではないらしく、この前日に訪れたときは入口が閉ざされていましたが、翌日に出直して訪れたところ運よく拝観することができました。
調べてみると拝観日は不定期で、お寺の都合によって決まるということなので、完全に運任せということのようですね(雨天時はほぼ閉山との話も)。