こんにちは、よたろうです。
今回は小田原市の佐奈田霊社を紹介します。
データ
- 名称:佐奈田霊社
- 祭神:佐奈田与一義忠
- 訪問日:令和4年7月2日
神仏習合の「霊社」
治承4年(1180年)に源頼朝率いる源氏軍が大庭景親ら平氏軍と激突した石橋山の戦い ─ 源氏軍が大敗を喫して頼朝が箱根山中に敗走したこの戦で、先鋒を務めて討死した佐奈田与一義忠(岡崎義実の嫡男)を祀っているのがこの佐奈田霊社です。
源頼朝に先陣を命じられた佐奈田義忠は俣野景久の軍勢を迎え撃つも多勢に無勢、1対73という絶望的な状況でも奮闘し、俣野景久を組み伏せて「あと一太刀」のところまで追いつめたものの、敵方を討ち取った際の血糊で刀が鞘から抜けず、背後から長尾定景に討ち取られてしまいます。
この長尾新六定景という人物こそが、討ち取った佐奈田忠義を「与一塚」に葬むるなど手厚く供養した、佐奈田霊社の初代の住職であるとのこと。
吾妻鏡によると、源頼朝は伊豆山権現を参拝した帰途には必ずこの与一塚に立ち寄り、墓石にすがり付いて号泣したそうです。
ちなみにこの佐奈田霊社は本堂に上がってご神体を直接拝ませていただくことができるのですが、そこで当代の住職から色々なお話を伺うことができました。今回紹介している佐奈田忠義のエピソードは、住職に伺ったお話をもとに構成しています。
ところで、この佐奈田霊社の「霊社」という言葉があまり耳に馴染みがなかったので住職に質問してみたところ、霊社とは神仏習合の神社かつ寺院のことであり、源頼朝が後鳥羽天皇に石橋山の戦いを報告した際に「佐奈田与一忠義をこの霊社に祀るように」という勅許を得たことによる社であることから、明治新政府の神仏分離令による廃仏毀釈を免れて今日も「霊社」として残っている……とのことでした。
その他にも熱心に色々とご説明をいただいたのですが、メモを取っていたわけでもないためすべてを記すことはできませんので、ぜひ皆さんも足を運んで住職のお話を聞いてみてください。
大河ドラマで初めて鎌倉時代に興味を持った私にも分かりやすく説明をしてくださった話術は「一聴の価値あり」ですよ。