こんにちは、よたろうです。
今回は鎌倉市の妙本寺を紹介します。
データ
比企能員の変で滅亡した比企一族の菩提を弔う寺院
妙本寺は、鎌倉幕府の御家人であり、源頼朝の死後に「十三人の合議制」の一人として第二代鎌倉殿(鎌倉幕府将軍)・源頼家を支えた比企能員の屋敷跡に創建された寺院です。
比企能員の末子である能本(よしもと)が、「比企能員の変」で滅亡した一族の菩提を弔うため、自分の屋敷を日蓮に献上して開いたのが妙本寺のはじまりとされており、日蓮宗最古の寺院といわれています。
妙本寺の境内には、比企能員夫妻・比企能本夫妻をはじめとした比企一族の廟所である「比企一族之墓」や、屋敷の焼け跡に遺った源頼家の長男・一幡の小袖を供養する「一幡之君袖塚」など、比企一族にまつわる史跡が点在しています。
また、本堂へと至る方丈門をくぐらずに左手の細い坂道を登った先には、蛇苦止堂という社があります。
この蛇苦止堂は、比企能員の変で屋敷が炎上する中、家宝を携えて井戸に飛び込んで自害したという、能員の娘であり一幡の母である若狭局を祀っています。
蛇苦止堂のすぐ近くにある「蛇苦止の井」と呼ばれる井戸がその井戸とされ、今でも蛇に姿を変えた若狭局がこの井戸の中で家宝を守っているとか、いないとか……
吾妻鏡には、比企一族の滅亡から約60年後の出来事として、北条政村の娘が若狭局の霊によって祟られる様子が書かれており、それを鎮めるために日蓮によって「蛇苦止大明神」として祀られたとされていますが……北条家のお姫様が、北条家によって滅ぼされた比企一族の怨霊に祟られるとは、因果応報としか思えませんよね。。。
この妙本寺にはその他にも、鎌倉最大級の木像仏堂建築である「祖師堂」や、持国天・毘沙門天を祀る朱塗りの「二天門」など見どころがたくさんありますので、鶴岡八幡宮や小町通りの喧騒を離れて、半日ほどかけてじっくりと散策することをお勧めします。