こんにちは、よたろうです。
今回は高座郡寒川町にある、梶原景時館址を紹介します。
データ
- 名称:梶原景時館址
- 訪問日:令和4年6月18日
https://www.samukawa-kankou.jp/?p=we-page-entry&spot=140404&cat=23199&pageno=3
「ミスター讒言」梶原景時の所領
治承4年(1180年)の石橋山の合戦で洞窟に隠れ潜んでいた源頼朝を見逃して一命を救い、後に家臣となって頼朝の厚い信任を得た梶原景時。本宅は御所のある鎌倉に構えていましたが、この寒川町の一之宮に与えられた所領に館があったとされています。
その館の敷地は南北に約500m、東西に300mほどの広さがあり、東京ドーム約2個分に相当する広大なものであったと考えられています。この碑がある辺りはドームで言えば右中間くらいになるでしょうか(スミマセン、テキトーです)。
この碑がある小さな公園には一之宮天満宮の祠がありますが、これは当時の坂東武者としては珍しく和歌を嗜むなどの教養があった梶原景時を称え、里人たちが創建したものと伝わっているそうです。
さらに、ここから2~3分ほど歩いた先の畑の脇には「伝 梶原七士の墓」とされる石仏群があります。
これは、正治2年(1200年)に梶原景時の一族郎党が上洛の途中で討死し、それを一之宮館の留守居役の家臣らが弔った説、また、梶原氏の復権と所領の安堵を鎌倉幕府に願い出たが許されなかった家臣7人がその場で自害したのを祀った説……があるようですが、真相は分かりません。
また、この石仏群の傍らには「箙(えびら)の梅」で知られる梶原景時の長男・梶原景季のレリーフがありました。
……と、しれっと "「箙の梅」で知られる" などと書きましたが、恥ずかしながらここを訪れるまで「箙の梅」のことを知りませんでした、ハイ(笑)
えびら‐の‐うめ【箙の梅】
1 寿永3年(1184)の源平生田の森の合戦で、梶原景季が梅の枝を箙に差して戦った故事。神戸の生田神社に遺跡があり、能や浄瑠璃の題材となった。
2 梅の一品種。花は淡紅色で大きく、桃の花に似ている。
デジタル大辞泉「箙の梅」の解説 より引用
寒川神社の向かいにある参集殿にも、この「箙の梅」をモチーフとしたねぶたが展示されていました。
このように梶原一族とゆかりの深い寒川町は、今まさに「鎌倉殿の13人」フィーバーの真っ只中で、町のあちこちに「ゆかりの地」であることを示す幟がはためいていました。
寒川町観光協会による「鎌倉殿一の御家人 景時ゆかりの地「寒川」歴史探訪ツアー」が定期的に開催されていますので、ご興味のある方はぜひ参加してみてください。