こんにちは、よたろうです。
今回は伊豆の国市にある、江間公園(北条義時屋敷跡)を紹介します。
データ
- 名称:江間公園(北条義時屋敷跡)
- 訪問日:令和4年7月10日
若き日の北条義時義時が過ごした地
鎌倉幕府の二代執権である北条義時が創建した北條寺から徒歩5~6分ほどの場所にある江間公園。ここは義時が青年時代を過ごした場所で、義時の屋敷があったと推定されています。
ご近所にお住まいと思しき親子が遊具で遊んでいたり、併設されたテニスコートでは年配の方々を含めた地域の皆さんがワイワイとテニスに興じていたりと、往時を偲ぶ面影こそありませんが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源頼朝に臣従して以降徐々にダークサイドに堕ちていく前の、純朴な青年であった義時が育った場所というのも納得の緩やかな空気感が漂っていました。
そんな江間公園の隅には、ここにかつて北条義時の屋敷があったことを示す石碑が立っています。
北条義時は、吾妻鏡では「北条」ではなく、所領としたこの地の「江間」と記されていることが多く、近年の研究では北条宗家ではなく、分家の江間家の初代とみられているんですってね。
大河ドラマを見るまでは「鎌倉幕府二代執権」として名前を知っているだけの存在でしたが、興味を持って色々と調べてみると、ほぼすべてが「新たな発見」で楽しくて仕方がありません(笑)
ちなみに、こうしてゆかりの地を方々訪ね歩いていると、ときどき様々な表記の揺れがあることに気付くことがあります。
例えば上掲の2枚の写真、石碑のほうには「北條義時(江間小四郎義時)屋敷跡」と彫られていますが、案内板には「北条義時館跡」とあります。「北条」と「北條」、「屋敷跡」と「館跡」……どちらが正しいのでしょうか。
そういえば前述の義時が創建したという寺も「北条寺」ではなく「北條寺」なんですよね。表記の新旧なのか、それとも何か使い分けが存在しているのか、ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。