こんにちは、よたろうです。
今回は横須賀市の正行院(しょうぎょういん)を紹介します。
データ
和田義盛が巴御前の菩提寺として建立した寺院
正行院は、和田義盛が正治元年(1199年)に妻である巴御前の菩提を弔うために建立した寺院です。
創建当時は同じ横須賀市秋谷の海岸近くに建立されましたが、明応7年(1499年)に現在の地に移されたんだそうです。
さて、冒頭にも記したように和田義盛が巴御前の菩提を弔う菩提寺として建立されたのだとすると、巴御前は正治元年(1199年)よりも前に亡くなったということになります。
木曾義仲が宇治川の戦いに敗れて討ち死にしたのが寿永3年(1184年)の出来事とされていますから、義仲の指示によって戦場を去り、落ち延びた末に鎌倉に送られ、和田義盛の妻となって朝比奈義秀を生んだという伝承を信ずるならば、和田義盛と巴御前は十数年間連れ添ったことになります。
「和田義盛の妻」というのが後世の創作であったとしても、鎌倉幕府の侍所別当であった和田義盛がその身柄を預かった……というのは十分にあり得る話ですよね。
この正行院には巴御前の遺髪が埋葬されているとのことですが、和田義盛の菩提寺である来福寺にも巴御前の遺品が伝わっているといいますし、10kmほど離れた同じ横須賀市内の岩戸にある三浦一族のゆかりの満願寺の近くには巴御前のものと伝わる墓(私有地内のため非公開)があるなど、三浦半島の各地には和田義盛と巴御前が夫婦であったことがあながち創作ではないのでは?という伝承が数多く残っています。
そう考えると、この正行院の山号である「紫雲山」というのも意味深な気がします。
し‐うん【紫雲】
むらさき色の雲。めでたいしるしとされ、念仏行者の臨終などにあたって、阿彌陀仏がこの雲に乗って来迎(らいごう)するという。
出典 精選版 日本国語大辞典(紫雲とは - コトバンク より引用)
どうでしょうか、和田義盛がいかに巴御前を大切にしていたかが窺えるような気がしませんか?
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第41回「義盛、お前に罪はない」では和田合戦における和田義盛の壮絶な死に様を伝え聞いた巴御前が、生前の義盛の願いに応えるために生き延びる選択をし、鎧姿で馬上で薙刀を振るって追手を圧倒して「我こそは忠臣・和田義盛の妻、巴なるぞ!」と叫ぶ、思わず涙してしまう切ないシーンがありました。
その後の消息は描かれなかったものの、本編後の「鎌倉殿の13人 紀行」で「巴は和田合戦の後に出家し、91歳まで生きたと源平盛衰記に記されています」と紹介されましたが……この正行院が建立された正治元年(1199年)よりも前に亡くなったのか、はたまた建歴3年(1213年)の和田合戦の後も生き延びたのかは、今となっては知る由もありません。
アクセス
神奈川県横須賀市秋谷2-16-2
「前田橋」バス停から徒歩約6分
駐車場あり