こんにちは、よたろうです。
今回は三浦市の天養院を紹介します。
データ
- 名称:五劫山 天養院
- 宗派:浄土宗
- 本尊:阿弥陀如来
- 拝観料:志納
- 訪問日:令和4年9月19日
和田義盛が大切に奉じた「身代わり薬師」
永禄2年(1559年)に鎌倉の光明寺の末寺として創建された天養院には薬師如来像が安置されていますが、これは和田義盛が館の鬼門を守護するために建立した安楽寺(廃寺)に祀られていたものを客仏として安置したものと伝わっているそうです。
和田合戦で全身を負傷し、顔面から腹部にかけて大きな刀傷を負った和田義盛でしたが、不思議と痛みを感じなかったといいます。一日目の戦を終えて館に戻った義盛の目に映ったのは、なんと顔面と胸部から腹部にかけて傷を負い、血を流している薬師如来の姿だったそうです。
義盛は自身に痛みが無かったのは薬師如来が身代わりになってくれたからだと信じて大切にしたとのことですが、天養院に祀られているその薬師如来像には今なお傷跡が残っており、今日「身代わり薬師」として安置されています。
最終的には刀折れ矢尽きて滅びることになる和田義盛とその一族に、最後の力を与えたのがこの薬師如来像だったのでしょうね。
また、本堂には和田義盛の位牌も安置されていますが、この位牌は建暦3年(1213年)のもので、和田合戦が勃発した和田義盛の没年と一致しています。
戒名は「筌竜院殿前左衛門尉義盛安楽大居士」とあるそうですので、義盛が創建したと伝わる光念寺の筌龍弁財天からとったものなのでしょう。
同じくこの天養院の本堂には和田義盛の像も安置されています。甲冑を纏った小ぶりな武者像で、「勇猛果敢な武士らしい武士」という生前の義盛の姿と重なり合うものだそうです。
天養院を訪れたこの日は本堂の扉は閉ざされていて内部を伺うことができず、当然写真を撮ることもできませんでしたが、画像検索でその姿を垣間見ることができますので、ぜひググって確認してみてください。