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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をめぐるブログ

【源範頼ゆかりの地】吉見観音(安楽寺)(比企郡吉見町)

こんにちは、よたろうです。

今回は比企郡吉見町の吉見観音(安楽寺)を紹介します。

データ

yoshimikannon.jp

源範頼が幼少期に身を隠したと伝わる寺院

古くから「吉見観音」として親しまれている安楽寺は、今から約1300年ほど前に奈良時代の僧・行基が岩窟に観音像を安置したのがはじまりと言われています。

参道を進むと見えてくる仁王門

迫力のある真っ赤な仁王像がお出迎え

この仁王門をくぐって境内に足を踏み入れると、高台左手の本堂、右手の三重塔のほか、「吉見大仏」と呼ばれる阿弥陀如来座像が一望でき、さながら京都や奈良の寺院かのような光景が目に飛び込んできて、ちょっとテンションが上がりますよ(笑)

吉見大仏は松の木に隠れてしまいました……

平安時代の末期には、平治の乱後にこの地に逃れてきた源頼朝の異母弟・源範頼がその幼少期に身を隠したと伝えられ、ここから北西に1kmほどのところには源範頼の館跡とされる息障院があります。

kamakura13.hatenablog.com

この安楽寺と息障院は、かつては一つの大寺院を形成していたとのことで、現在も地名として残る「御所」の名に違わず、かなりの規模を誇っていたようですね。

この地を領し「吉見御所」とも尊称されたという源範頼が本堂、および三重塔を建立したと伝えられていますが、天文年間(1532年~1555年)の上杉氏と後北条氏との戦による松山城の落城に際してこれらの大伽藍はすべて焼失してしまったとのことで、現在の本堂は寛文元年(1661年)に、三重塔はそれよりも前の寛永年間(1624年~1644年)に再建されたものだそうです。

風格のある密教本堂

総高約24.3mの三重塔

源範頼の死に関しては様々な説があるようですが、その中には謀反の疑いをかけられて修善寺に流された後、この吉見観音に落ち延びて隠れ住んだ……という説もあるそうです。

私は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」以外の映像作品で源範頼を見たことがないため、「源範頼迫田孝也さん」のイメージしかありませんが、同作での蒲殿のいい人ぶりを見ると、鎌倉から遠く離れたこの吉見の地でひっそりと余生を過ごしたのが事実であってほしいなぁ……と思わずにいられません。

社務所前に佇んでいた猫冠者

アクセス

埼玉県比企郡吉見町御所374
「久保田」バス停から徒歩約35分
駐車場あり